夏の猛暑に厳しい残暑。

夏の猛暑に厳しい残暑。

今年は例年になく気温の高い日が続きました。10月初旬にはソメイヨシノが咲いたという報道がなされ、晩秋の空には夏の入道雲が依然として睨みをきかせていました。

「地球温暖化」という言葉が、私たちの身近な出来事だと改めて実感されたことです。

「暑さ寒さも彼岸まで」。

日本には四季折々の風情を詠んだ言葉たくさんあります。

けれども、昔とは明らかに異なっていると思われる現代の気候の中で、風土によって生み出されてきた表現や季節の言葉も、いつしかそのように言えなくなるかもしれない…、そんな不安を覚える昨今の状況です。

また、ものの豊かさが謳歌され、飽食の時代と言われる中、いわゆる「今が旬」とよばれるものも次第に少なくなりました。

そのため、その時期ならではの味わい〜いつも当たり前にあるのではなく〜「あぁ、○○の時期になったなぁ!」と感じられるものがとても大切に思われます。

人間としての豊かな感情は、四季の移ろいと生活をともにし、そこに包まれているだけで育まれていくような気がします。

しかし、今の私たちのいわゆる「文明の利器」に頼った日暮らしは、自然と一体となる感覚を失わせ、いつしか人間中心の生活を至上とするようになりました。

冷暖房機器の中での生活は快適そのものですが、陽光の温もりや吹く風の心地よさといった、めぐりくる季節を自らの肌で感じることこそ、決して忘れてはならないことだといえます。

「霜月」を迎えたいま、暦の上だけではなく、自らの感性で冬の訪れを確かめられたら…と思います。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。