『いい人 悪い人 みなわたしの都合』

いよいよ来月より裁判員制度がスタートします。

このコーナーをご覧の方の中にも、候補者名簿記載のお知らせが届いた方もいらっしゃるかもしれません。

 アンケートによると、国民の大多数ができれば参加したくないという思いのようですが、その理由としてあげられているのは、人を裁くという難しい仕事を法律の素人ができないのでは…、ということのようです。

 きっと多くの人が、法律に詳しくない自分自身に正しい判断ができるのか、不安と戸惑いを感じているのでしょう。

 でも、そのことは日ごろの生活も同様かもしれません。

わたしたちは、自分の意見に快く同調してくれる人をいい人と思い、逆にそうでない人を悪い人と判断しがちです。

 また、周囲の多くの人が“いいこと”と判断すれば、よく考えることもなく自らも同調し、逆に“悪いこと”と判断すればそちらに流されやすいものです。

 先ほどの不安と戸惑いは、つい自分の都合や置かれた環境によって、人や物事を判断してしまう人間の心の不安定と不正確によるものかもしれません。

 仏教は、そのようなわたしたちに真実の教えを聞くことの大切さを説きます。

真実の教えに出遇うと、いつも自分の都合によっていい人、悪い人と判断をしていた迷いの中にあるわたしに気づかされるからです。

常に自らを良しとし、他を悪しとする、自己中心の心に縛られたわたしに気づかされるからです。

 そのことに気づくのと気づかないのとでは、それ以降の生き方が大きく変わってきます。

 私の日暮らしが、

「人間みんな裁判官 他人は有罪 自分は無罪」

なんてことにならないように心がけたいものです。