とんち話で有名な一休さんは、室町時代の臨済宗の高僧ですが、本願寺第八世蓮如上人と宗派の違いや年の差(一休さんが19歳年長)を超えて深く親交を結ばれ、互いの思想に敬意を払い教えを学び合っておられたそうです。
そのため、蓮如上人が宗祖親鸞聖人の200回遠忌法要(1461年)を営まれた際にも法要に参詣しておられます。
そして、その時に残されたと伝えられるのが、
「分け登るふもとの道は多けれど同じ高嶺の月をこそ見れ」
(意訳)真理に向かう道は多くありますが、私たちは同じ覚りを目指していることですね
という歌で、他宗と見れば排斥しあう風潮の中で、一休さんの器の大きさが感じられる内容です。
一休さんが、元旦に信者の方から
「今日は元旦です。
とてもめでたい日なので、何かおめでたいことを書いてはいただけませんか。
それを、飾って心のよりどころにしたいと思います」
という、お願いをされました。
すると、一休さんは気安く引き受け、すぐに筆をとり言葉を書いて渡されました。
信者の方は、さぞや素晴らしい言葉が書いてあるものと期待しながら手にとって見ると、何とそこに書かれてあったのは
「親が死に、やがて子が死に、孫が死に」
という文言でした。
お正月だから
「めでたいことを…」
とお願いしたのに、これではたまりません。
信者方は
「いったいこれのどこがめでたいのですか」
と、声を荒らげて一休さんにつめよりました。
すると一休さんは、
「怒ったのか。
では聞くが、あそこで遊んでいるあなたのかわいい孫が先ず死んで、その次にあなたが頼りにしている子どもたちが死んで、最後に自分が一人だけ残ったとしたらどうか。」
と尋ねられました。
すると信者の方は、
「それはとてもたまりません。
あのかわいい孫が死んで、次に子どもたちに先立たれたのでは、私は途方にくれるばかりです」
と答えました。
それを聞くと一休さんは
「そうであろう。
先ずは年長者のあなたが死んで、その次に子ども達が死んで、それから孫が…という、年齢順がめでたかろう。
あなたが何かめでたいことを書けというので、そのことを書いたのじゃ」
とおっしゃったとのことです。
いかにも一休さんらしい諷刺のきいたお話です。
ところで、日常生活において、私たちは親が亡くなった時など、
「不幸がありまして…」
という言葉を口にします。
けれども、私たちは誰もが必ず父・母、二人の親があってこの世に生まれてくるのです。
そうしますと、もし親が亡くなることが
「不幸」
であるとするならば、誰もが二つの不幸を背負って生まれてくるということになりはしないでしょうか。
「だから人は泣きながら生まれてくるのだと」
と言われれば返す言葉がありませんが、一方である人が
「人間は幸福になるために生まれてくるのだ」
とも述べています。
親の死、それは心が張り裂けんばかりの深い悲しみではありますが、決して
「不幸」
とは言わないのだと思います。
では、
「不幸」
とはどのようなことなのでしょうか。
仏教では
「空過」
という言葉があります。
「空しく過ぎてしまう」
ということですが、それはこれまで自分の人生を精一杯生きてきたはずであるのに、いったい何のために一生懸命生きてきたのか分からない。
ふと振り返ると、そこに残っているものは
「空しい」
という思いだけ、というあり方のことです。
「必要にして十分な人生」
という言葉があります。
私たちの人生には、決して無駄なことなどないのです。
たとえそのときには大変なことだと思えても、苦しんだり、悩んだりしたことが、必ず私を育んでくれるものです。
そして、そういう体験が、やがて当たり前だと思っていたことがそうではなかった、あるいは見えているつもりでいたのに全然見えてはいなかった、といったことに気付かせてくれたりするものです。
仏さまの教えは、ともすれば苦労を不幸と錯覚してしまう私に、決して空しい人生を送ることのない生き方を明らかにしてくださいます。