今年も残りわずかとなりました。
鹿児島に戻って1年8カ月になりますが、この間、色々と感じることのあった年でした。
昨年、住職であった父が往生して、寺院の後継者として戻ってまいりました。
悲しみの気持ちと共に、
「これからどうなるのだろう?」
という不安が非常にありました。
高校の時から鹿児島を離れて10数年、久しぶりに故郷に戻ってみると、分からないことが多くて戸惑う毎日でしたが、今はようやく落ち着いてきました。
それは偏に、私の周りの多くのご門徒の方々の助けがあったからです。
まさに、ご門徒の方々のおかげでお寺が護持されていることを身をもって感じたことでした。
直に感じるものから、間接的に感じるものまで様々ですが、
「ご門徒の方々あってのお寺」
ということに改めて気付かせて頂き、本当にありがたいことでありました。
「ありがとう」
という言葉は、漢字では
「有り難う【有難う】」
と書きます。
これは有ることが難いことからきています。
おそらく、当たり前ではないことに気付くことから発せられる感謝の言葉でしょう。
考えてみますと、日頃は
「何でもあって当たり前」
の生活を送っているような気がします。
食事を例にしますと、私たちは必ず食事を頂きます。
生きていくために当然のように頂く食事には、お米・野菜・肉・魚…それぞれに命があり、それらを育ててくださる方、収穫される方、売買される方、調理される方がいらっしゃいます。
私の目の前の食事の陰には、多くの命や多くの方々のはたらきがあります。
目には見えないけれども、そのはたらきを思うとき、当たり前ではないことに気付かされます。
そのはたらきを感じることが
「おかげさま」
の心を知るということではないでしょうか。
おかげさまとは
「かげ」
に
「お」
と
「さま」
をつけた丁寧な言葉と聞いたことがあります。
また
「かげ」
には目に見えない恩恵の意味があるそうです。
目には見えないけれど、多くのはたらき、恩恵に感謝して
「おかげさま」。
最近、あまり聞かれなくなっていますが、いつまでも大切にしたい言葉です。
私達は自分一人では生きてはいけません。
多くの命を頂き、たくさんの方々のおかげで生きています。
仏教を明らかになさったお釈迦さまは
「すべてのものはつながりあって存在している」
と説いておられます。
目に見えるもの、目に見えないもの様々なつながりの中で、私がここに存在しているのです。
そして、私もそのつながりのなかの1つです。
あわただしい日々に追われるに生きる私たちですが、ふと立ち止まって1年を振り返る中に、
「おかげさま」
を感じ
「ありがとう」
と感謝の生活を送らせていただきたいものです。