今年も夏がやってきました。
半年前は待ち遠しかった夏も、来てみると秋が待ち遠しくなる私です。
さて、お寺の夏といえばお盆です。
盂蘭盆会といったりもします。
それは、お盆はお釈迦さまの弟子であった目連尊者が亡くなった母親が餓鬼道に落ちているのを知り苦しんでいたところをお釈迦さまの導きにより、修行僧をもてなすことで救ったという盂蘭盆経の故事に始まるためです。
でも、浄土真宗のお寺ではお盆、盂蘭盆会という言い方とともにこの仏事には
「歓喜会」
という言い方があることをご存知ですか。
盂蘭盆会とは最も苦しい状況を意味する言葉ですが、浄土真宗ではそれをご縁として仏法に出会うことができ、苦しみが喜びに転ずるということで
「歓喜会」
というのです。
けれども、大切な方を一年以内に亡くされて、今年初盆をお迎えの方々には、
「何を歓喜するようなことがあろうか」
と思われるかもしれません。
確かに、そのようなこともありましょうが、初盆の法要というご縁を頂いたことは、先立ちゆける方からのご縁に違いありません。
それを更に悲しみにひたるご縁と感じられるのか、それとも仏さまに手を合わせるご縁、仏法を聴聞する尊いご縁を受け取られるのかの違いではないでしょうか。
毎年繰り返されるお盆(歓喜会)ではありますが、手を合わせ聴聞するご縁をいただけたことに歓喜申していける、そんなご縁につなげたいものです。
親鸞聖人は
「歓喜」
という言葉を
「歓はみをよろこばしむ、喜はこころをよろこばしむとなり」
と、説いておられます。