早いもので、2011年も間もなく終わろうとしています。
さて先月中旬、ブータンのワンチュク国王夫妻が来日されました。
31歳という大変若い国王ですが、新婚一ヵ月21歳の初々しい王女を伴っての初来日でした。
二人は、国会での演説や東日本大震災の被災地へのお見舞い、そして京都など日本の各地を訪問されましたが、その行く先々で常に笑みをたたえながら合掌される姿がとても印象的でした。
ニュースで流れる二人のほほえましい様子に、心打たれた方も少なくないはずです。
ブータンは人口約70万人、ヒマラヤのふもとにある九州ほどの大きさの小さな国で、GNPは日本の20分の1と言われますが、
「自分は幸福だ」
と感じている人が国民の95パーセントということで有名です。
お金、健康、地位名誉、家内安全…。
「幸福」
の中身も人によって様々でしょうが、ブータンの人々の幸福の中身とは、人間関係や隣人関係、家族関係の平和と交流だと言われます。
身近な人との関係を大切にすることによって深い信頼関係を築き、家族も、友人も近所の人とも仲良く、地域全体、国全体が一つの家族のように支え合って生活しているそうです。
ワンチュク国王はこの度の国会演説の中で、その心を日本の被災地へと向けて、
「我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。
我々ブータンに暮らす者は、常に日本国民を親愛なる兄弟、姉妹であると考えてまいりました」
と述べられました。
そして
「ブータンの人々は、人々の間に深い調和を持ち、質素で謙虚な生活を続けており、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち、先祖の価値観によって導かれるブータンの社会を私は誇りに思います」
と、演説を結ばれました。
私は、この二人の合掌される姿やさわやかな笑顔、またあふれんばかりのやさしさと自信に満ちた言葉の奥底に、仏さまの教えがあることを強く感じると同時に、国や経済力の大小、また人口の多少という価値観では計ることのできない確かなものがそこにあるように感じました。
今年は日本にとって特別な年で、3月に発生した東日本大震災は東北地方に未曾有の被害をもたらしました。
震災直後からボランティアの方々が全国から被災地に駆けつけ、義援金の輪は各界に広がり、日本人一人ひとりがその思いを行動に移しました。
被災地では多くの人々が過酷な生活を強いられながらも、助け合い支え合って復興への道を歩みつつあることは、まことに有り難いことです。
しかし一方では、福島第一原子力発電所の事故による放射能の影響は人々に不安とともに大きな影響を与えつつあり、まさしくそこでは物質的・経済的な豊かさを求め続けてきた私たち現代人の生き方が問われています。
また、新聞やテレビでは、いのちの軽視や倫理観の欠如などに伴う出来事が絶えることなく報道されています。
「世の中安穏なれ仏法弘まれ」
とは、今年750回忌をお迎えになった浄土真宗の開祖・親鸞聖人のお言葉です。
阿弥陀如来のご本願のはたらきを深く受け止められた親鸞聖人は、生きとし生けるいのちはすべて等しく、共に敬い支え合って心豊かに生きる道をお示し下さいました。
それは、阿弥陀如来の智慧の光に照らされ、おかげさまと生かされて有り難うと生きていく、合掌お念仏の生活であります。
今、混迷する私たちの社会あって、一人ひとりが自己中心的な心を省みて、同じいのちに生きる相手の存在に気づくことが求められています。
自分ひとりを善として、相手を排除する考え方には、真の安らぎも幸福もありません。
生きとし生けるものが争うことなく、安らぎのある、穏やかな社会。
聖人は、それは
「ご報恩のために、お念仏を心にいれて申す」
日暮らしをするところにこそ開かれるとお示し下さいました。