仏教伝道協会が発行する、心を育てるこども仏教塾、「ブッダがせんせい」という本があります。
お寺を母体とする幼稚園や保育園などでは、毎日の幼児のおつとめ中で、先生方がこの本を用いてお話しをしたり、また私自身も家庭の中で子どもたちと一緒に読んだりと、幼い子どもにも伝わりやすいやさしい表現で書かれてありますので、大人が読んでもグッと心に響いてくるものがあります。
私がお預かりしているお寺でも、境内の伝道掲示板にこの本の言葉を引用し、お参りにみえる全ての方の目にとまり、ほんの少しでも立ち止まって仏さまの心に触れていただけるよう、活用させていただいております。
そのブッダがせんせいより、幾つかの言葉を紹介してみようと思います。
『自分がされたくないことは
きみも人にしてはいけないよ』
至極当然のようでありますが、なかなかそうはならないのが人間の怖さであり、また愚かさでもあるような気がします。
この言葉は、「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死を恐れる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。」という『法句経』の言葉を出拠としています。
大事なことは「己が身をひきくらべて」というところでしょうか。
仏教はとことん自己を問いただす教えであります。
嘘をつかれたり、ぶたれたり、他の人からいやなことをされるのは、みんな嫌いです。
自分が誰かにされていやだなぁと思うことは、当然みんなもいやだなぁと思います。
思いやりや、自分以外の命を大切にする生き方を忘れてはいないか、改めて自分自身に問いかけられている思いです。
『らんぼうな言葉が使わない。
自分にもいやな言葉がかえってくるから』
いかがでしょうか。
お友だちとケンカになって、乱暴な言葉を言い合ったことはないでしょうか。
相手を言葉で傷つけて、返ってきた言葉で自分も傷ついてしまったこと、ありますよね。
これも、「荒々しい言葉を言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだ言葉は苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。」という『法句経』の言葉です。
口げんかや言い争いというのは、自分たちだけでなく、周りの人にまでいやな気持ちにさせてしまいます。
相手がいることを忘れ、怒りの感情のまま勢いで何をしでかすか分からない危うさを持つのも私自身。
そこにブレーキをかけられるかどうか。
いやそれ以前に、いかに心を清め、常に落ち着いた心でいられるかが大切なのかもしれません。
仏さまの教えを依りどころに、ブッダの言葉をお手本として、たとえどんなに心は怒りで燃えたぎっていたとしても、丁寧な言葉で応対できる、そんな仏教徒としての姿を心がけていたいと思います。