「外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり」

この言葉は、親鸞聖人の和讃の一節で、全文は「五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり」です。「五濁」というのは、『仏説阿弥陀経』に説かれている、人間が直面しなければならない五つの濁りのことで、具体的には「劫濁(こうじょく)」「見濁(けんじょく)」「煩悩濁(ぼんのうじょく)」「衆生濁(しゅじょうじょく)」「命濁(みょうじょく)」の五つをさします。

先ず、あげられている「劫濁」の「劫」は時代という意味で、疫病や飢饉、政治の腐敗や争乱、戦争が続発するなど、時代そのものが汚れることです。次の「見濁」の「見」は人々の考え方や思想という意味で、邪悪で汚れた考え方や思想が常識となってはびこることです。「煩悩濁」は、欲望や怒り、憎しみや嫉み、妬みなどの煩悩によって起こされる悪業が横行することです。「衆生濁」は、人々の在り方そのものが汚れることで、心身ともに人々の資質が衰えた状態になることです。最後の「命濁」は、自他の命が軽んじられる状態のことで、人々の中から生きることの意義が見失われ、自分が生きているという実感を持てなくなり、人生の全体が空しいものになってしまうことです。

親鸞聖人は、和讃の中で「五濁増」と述べておられますが、それは五濁の勢いが強く激しくなっているということです。聖人は、自身の生きられた時代が、お釈迦さまの教えのみが残り、仏道を正しく行じる者もいなければ、正しい証果を得る者もいない末法の時代であることを強く意識しておられました。それは、まさに五濁のどれもが熾烈なる世の中であることを実感しておられたからだと思われます。そして、そのことを「世の中の道俗(僧侶と在家の信者)はことごとく、たとえ外見は仏教に帰依しているかのように見えたとしても、心の内では外道の教え(世俗の欲望)を敬い信じ、仏道を外れてしまっている」すがたに見出しておられます。

私たちがここで注意しなければならないことは、「外儀は仏教のすがた」ということです。ともすれば、この言葉は浄土真宗の人々が他の仏教諸宗派を批判するときに使われることがあります。具体的には、寺院でありながら、御神籤(おみくじ)を売り、方角を占い、日の吉凶を語り、現世の利益を祈祷しているといったことなどですが、親鸞聖人が問題にしておられるのはそのことではありません。もちろん、そのようなあり方を決してよしとしておられるわけではありませんが、それは他の和讃において批判しておられます。なぜなら、現世利益を説き、良時吉日を選び、卜占祭祀をつとめとすることは、「外儀」つまり外の姿も既に仏教とはいえないからです。

では、ここで問題にしておられる「外儀は仏教のすがた」とは、いったいどのようなことなのでしょうか。それは、自分では、まさにこれが仏教だと思って、心をこめて一心に行っていることが、実は外道に帰依するすがたに他ならないということです。近年、仏教者の中に、経典の一部をとりあげて「差別表現」だと批判する人々がいます。その一つに、有名な「盲亀浮木の喩え」があります。その概要は、以下の通りです。

ある時、お釈迦さまが次のように問われました。

「比丘(仏弟子)たちよ、たとえばここに一人の人がいて、一片の軛(くびき:牛、馬などの大型家畜を犂や馬車、牛車、かじ棒に繋ぐ際に用いる木製の棒状器具)を大海の中に投げ入れたとする。そして、その軛には、一か所だけ孔(あな)があいていたとする。
また、ここに一匹の目の見えない亀がいて、百年に一度だけ海面に浮かんできて首を出すという。はたして、この亀が海面に浮かんできた時、その軛の孔に首を突っ込むというようなことがあるだろうか」

すると弟子の一人が「お釈迦さま、もしそのようなことがあるとしても、それはいつのことになるかわかりません」と答えました。それに対してお釈迦さまは

「比丘たちよ、その通りである。だが、百年に一度だけ海面に浮かぶ目の見えない亀が軛の孔に首を入れることよりも、なお希有(けう:めったになくめずらしいこと)なることがあると知らなければならない。それは、一たび悪しきところに堕ちたものが、ふたたび人の身を得るということは、さらに希有だということである。」

さて、ここで何を問題にしているのかというと「この喩えを用いて話したり文章を書いたりすることは、目の見えない人達を差別することになる」というのです。具体的には、「目の見えない亀という救われていく対象を劣った特性とすることで成り立つ例話となっている」として、「この例話で仏性にであった方もおられるかもしれないが、実際に身体的に不自由な方が聞けば悲しい思いをする方もおられる点を見過ごしてはいけない」と断じています。けれども、おそらく新聞が読める程度の国語の読解力があれば、お釈迦さまの真意がどこにあるのか、読み取ることはさほど難しいことではないと思われますし、むしろこれを読んで「お釈迦さまは、目の見えない人に配慮せず、そういった人を貶めている」と解釈することに、大きな驚きを禁じえません。いったい、どうしてそのような偏った読み方をしてしまうのでしょうか。

善導大師は、仏教を学ぶことについて「解学」と「行学」ということを挙げておられます。「解学」というのは、仏教を一つの思想として学ぶことで、あえていえば哲学です。仏教を哲学として学ぶのであれば、凡夫の煩悩から菩薩や仏の悟りの内容まで理論的に学ぶことができます。このように、自分の人生や生活とは切り離して、教理を知識として学ぶということであれば、自由に学ぶことができます。それに対して「行学」というのは、自分の生き方を仏教に学ぶということです。そうなると、教理を学ぶように自由自在にというわけにはいきません。そこで、善導大師は「もし行を学ばんと欲わば、必ず有縁の法に籍(よ)れ」と言われます。有縁の法は、また「待対の法」という言葉でも語られます。「待対」とは、待ちこたえるということですが、 善導大師は人間が仏法を待つのではなく、仏法が人間を待ち、人間にこたえる、それが仏法の歩みだといわれるのです。

これをうけて親鸞聖人は、「すでにして悲願まします」と述べられます。「すでにして」という表現からもわかるように、仏法に遇うということは、私が理解する以上に、わが身の実相がすでにこたえられていたという事実に気付くということです。この「すでにしてまします」というのが待対の「待」という字の意味で、教えにあったときには、自身が待たれていたということが自覚されます。だからこそ、待ということは悲願なのです。そして、この教えに目覚めるということは、何か今まで知らなかったことを知ったということではなく、私の身の事実を言い当てる言葉がすでにあったということを知ることです。それは、私を言い当て、私にこたえる言葉に出会うということに他なりません。そこで、善導大師は、私が待たれ、私がこたえられていたという意味で「有縁の法」といわれているのです。

そうすると「盲亀浮木の喩え」も、お釈迦さまが仏弟子に対して語られたものですから、当然のことながら自分自身に向けられた教えとして受け止めるべきです。にもかかわらず、それを「目の見えない人が悲しい思いをするかもしれない」と妄想して、お釈迦さま教えを否定するということは、教えの聞き方を根本的に間違えていると言わざるを得ません。そもそも、一方的に「目の見えない人が悲しい思いをするかもしれない」とするのは、目の見えない人たちを自分よりも劣ったかわいそうな人と見下しているからではないかと思われます。

親鸞聖人は、念仏者として生きていることのしるしというものを「ねんごろのこころ」を持つということの上に見出しておられます。「ねんごろ」というのは、「ねもころ」という言葉から転じた言葉で、「根」と「も」と「凝(ころ)」という字で「ねもころ」、あるいは「根」と「如(もころ)」という字を書いて「ねもころ」と読むのだそうです。そして「ころ」というのは「絡む」という言葉に通ずるといわれています。また、「辞典」には「根も絡みつくほどに」とあり、相手の人とそれこそいのちを一つにする、木がお互いに根を絡みつけ合っていると、その根を引き離すことができない、別々にならない。そういう一つになって生きるという意味が「ねもころ」という言葉の意味として説かれています。

つまり、「ねんごろのこころ」というのは、相手と根を一つにするという心のありようを表そうとする言葉で、相手の気持ち、さらに言えば相手の存在を思いやる心を物語るものです。そして、そのような心を持つことが念仏者の姿だと教えておられるように窺えます。

そうすると、「ねんごろのこころ」を持って生きるということは、相手の存在そのものを常に心にかけ、思いやり合いながら生きるということです。ただし、思いやるといっても、自分の思いで一方的に思いやるのではありません。自分の思いで思いやるという時には、自分はそのようなつもりであっても、相手にとっては煩わしいだけということもあるからです。いわゆる「小さな親切、大きなお世話」であったりすることもあるのです。「ねんごろ」というのは、ただ単に相手を思いやるのではなく、相手を思いやる心を持って相手の心に尋ねていくということです。それは、自分なりに相手のことを考えて、決して一方的に押しつけるのではなく、精一杯のことをしながら、しかもそこに相手の気持ちを思いやるということが大切になるのだと思います。そうすると、「目の見えない亀」という言葉だけに過剰反応して、「悲しい思いをする」と決めつけるのは、自分では思いやっているつもりでいても、自分の考えを押し付けているだけのことで、これは親鸞聖人が求められた「ねんごろ心」ではなく、厳しくいましめられた「邪見憍慢(じゃけんきょうまん)」の心だといえます。

実のところ、私たちはどこまでも自分の視点からしか物事を見ることはできないものです。したがって、相手の目線に立って見ているようでも、つまるところそれは「相手が自分をどう見ているか」ということを私が一方的に推し量っているだけのことにすぎません。仏教では、ものを考えていくということを「観」という言葉で表します。観とは「みる」ということですが、ただみるだけでなく、そこにはみることにおいていろいろと考えるということが含まれています。私たちは、生きていく上でいろいろなものをみて生きていますが、その場合、自分中心の見方に終始しています。そのため、私たちは自分の目で見たことを「確かにこの目で見た」と主張するのですが、所詮その見方は自分の都合の良い見方でしかないのです。このことに注意を払わないと、なんでもわかったつもりになってしまうのです。

仏教では、また、迷いの根源となる根本的な煩悩を「無明」という言葉で言い表しています。無明は、文字の表面から窺うと、「明かりが無い」と読めますから、光のない真っ暗で何も見えない状態が思い浮かばれます。例えば、今いる部屋が真っ暗になったとすると、その時、私たちができるのは、おそらく手探りをしながら室内をうろうろすることだけです。そのように、光のない場所では、私たちは手探りをする他ありません。そして、信じられるのは自分がふれたり、つかんだりしたものだけです。それは、自分が身につけた知識や体験したことだけを頼りに生きるということです。そのため、無明におおわれたあり方においては、物の見方が一面的になり、自分の体験にとらわれてしまい、物事の本質を見抜くことはできません。

親鸞聖人は、この「無明」について、『一念多念文意』という書物の中で

凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、怒りはらだち、そねみねたむ心おおくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどらまらず、きえず、たえず…

と述べておられます。これは、私たち凡夫は、すべての煩悩を身にそなえていて、臨終のときまで、完全に無明煩悩におおわれて、一瞬といえども心の平安を保つことができず、ただ迷い続けるのみであると教えておられます。けれども、その一方で『教行信証』に南無阿弥陀仏の称名念仏をたたえて、

名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたもう。

と、念仏の教えに生きる者は、迷いの根源である無明煩悩の一切が、阿弥陀仏の願いのはたらによって、すでによく破られ、仏果に至る功徳のすべてが、その者の身に満ち満ちていると述べておられます。さらに、『教行信証』は、

ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。

という言葉で書き始められていますが、これは「煩悩におおわれた愚かなる凡夫は、自らの力でいかに懸命に努力したとしても、いたずらに無限に広がる大海原を流転するのみで、絶対にこの暗黒の大海を渡り切ることはできません。迷いの根源である無明の闇を、その根本から断ち切り、私を光輝く悟りの世界に至らしめる力は、ただ阿弥陀仏の本願力のみです。まさに、阿弥陀仏の大悲の願船が、この私をして難度海を渡らせてくださるのであり、大悲の光明が無明の闇の一切を破るのです」ということで、この身がいかに無明の闇に包まれていたとしても、阿弥陀仏の本願力、智慧の光明が、その無明の一切を破るのであり、現にいま無明を破っている阿弥陀仏の智慧のすがたが、自身が称えている「南無阿弥陀仏」の名号だといわれます。

また、晩年の親鸞聖人は「阿弥陀如来が五劫という長い時間をかけて思案を尽くして建てられたお誓いをよくよく考えてみると、つくづくそれはこの親鸞ただ一人に向けての救いの御心であった。思えば救いようのないすべての煩悩におおわれた罪業の深いこの身を生きる他はないこの私を、何としても助けようと決意していただいたことは、なんともったいなく有難いことであろうか」と語っておられたと『歎異抄』が記しています。親鸞聖人は、85歳のときに書かれたお手紙(『末燈鈔(まっとうしょう)の中で、年老いて来て「目もみえず候(そうろ)う」と綴っておられますが、もし「盲亀浮木の喩え」を読まれたら、きっと「まさに大海にあって、百年に一度しか海面に姿をあらわさない目の見えない亀が軛(くびき)のあなに首を突っ込んだように、いま自分は生まれ難い人間に生まれ、会い難い仏法に出会い、阿弥陀如来の本願念仏の道を歩いている。まさに、私のことだ」と、自身のために説かれた教えであったと、大変喜ばれたのではないかと思います。決して「目の見えなくなった自分のことを劣ったものとして差別し貶めるために説かれたひどい比喩だ」などと、誤解されるとは考えられません。

また、親鸞聖人は『高僧和讃(源信讃)』に、

煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり

と讃じておられますが、私たちは視力の是非にかかわらず、「煩悩にまなこさえられて」とあるように、煩悩の身であるため、常に自己中心的な見方を離れることができません。このような意味で「目の見えない亀」の喩えは、まさに「煩悩にまなこさえられて 摂取の光明」を見ることのできない、この私のことと聞かせていただくのが、仏弟子としての正しい在り方だといえます。

「涅槃経」に、仏滅後の末法の世に「法四依」という仏教徒が正しく依るべき四つの法義が説かれています。

一は、「依義不依語(義に依よりて語に依らざれ)」で、経典が説こうとしている意味に依拠して、言葉の表面的な表現の仕方に惑わされはいけないということです。

二は、「「依智不依識(智に依りて識に依らざれ)」で、智慧に依拠して知識に依拠しないということで、自分勝手な都合のいい考えや、個人の感想にすぎないような考えに惑わされてはいけないということです。

三は、「依了義経不依不了義経(了義経に依りて不了義経に依らざれ)」で、仏さまの教えが完全に説かれた経典に依拠して、意味のはっきりしない教説に依拠したり、俗説に惑わされたりしてはいけないということです。

四は、「依法不依人(法に依りて人に依らざれ)」で、真理(法性)に依拠して、人間の見解に依拠したり、一方的な見方に惑わされたりしてはいけないということです。

「盲亀浮木の喩え」を差別的なものとして貶めるのは、仏教徒が正しく依るべき「法四依」を全く理解していないからだと言えます。

蓮如上人は、「聞く」ということについて、「意巧にきく」とか「得手に法を聞く」という表現で、私たちの聞き方の問題点について度々注意をしておられます。「意巧にきく」というのは、ひたすら教えを聞いているようでも、自分の思いや自分の都合の良いように話を聞き変えて聞いているということで、「得手にきく」というのは、自分の得意なところ、自分の関心のあるところだけを聞きかじっているということです。このように、自分の関心のあるところは真剣に聞いて、そのほかのところは聞き流してしまうと、全体の流れの中で語られていること無視し、部分的に切り取って聞いてしまったのでは、結局何が説かれているか、正しく理解することはできなくなってしまいます。

「無謬性(むびゅうせい)」という言葉があります。これは「誤りが含まれていないこと。誤りのなさ」という意味で、そのため「絶対に正しい」という意味でも用いられます。経典批判をする人たちは、おそらく「自分たちは正しい運動をしているのだから、自分たちのすることには絶対間違いはない」という無謬性に陥っているのではないかと思われます。そうでなければ、経典の言葉を意識的に曲解して非難する理由が見つからないからです。

この「盲亀浮木の喩え」は、落語や文学、教育やメディアなど、広く多くの分野でお釈迦さま意のごとく正しく受け止められ、必ず肯定的に用いられています。もちろん、辞書にも「会うことがきわめてむずかしいこと、常識的にはまずありえないことのたとえ。仏または仏の教えにあうことのむずかしさをいう」「会うことが非常に難しいこと、めったにないことのたとえ。また、人として生まれることの困難さ、そしてその人が仏、または仏の教えに会うことの難しさのたとえ」と、わかりやすく、きちんと説明されています。

例えば、NHKは2005年からアジアの子どもたちを取り巻く社会状況の相互理解を目的とした子どもドラマシリーズの制作をABU(アジア太平洋放送連合)と連携して行っていますが、令和2年にはその参加メンバーであるタイ公共放送(Thai PBS)と協力して、短編ドラマ(『盲亀浮木~人生に起こる小さな奇跡~』)を制作することになりました。その際、日本文学の名作を現代のタイを舞台に描くという初めての試みがなされたのですが、数ある名作の中からタイのスタッフが選んだ原作は、志賀直哉の『盲亀浮木』でした。志賀直哉(1883~1971)は、明治から昭和にかけて活躍した小説家で、「城の崎にて」「小僧の神様」「暗夜行路」などの作品で知られていますが、原作に取り上げられた『盲亀浮木』は、志賀直哉が80歳の時に発表した短編です。ドラマは、「~人生に起こる小さな奇跡~」というサブタイトルが付されていることからも窺がえるように、お釈迦さまの比喩を踏まえて、身の回りで起こった偶然の数々が描かれた作品となっています。もちろん、目の見えない方を貶めようとする意図もなければ、そのような場面も皆無です。

この他、落語でも「盲亀の浮木 優曇華の花」という言い回しで、3,000年に一度しか開花しないといわれる優曇華の花と並べて、「非常に珍しいことに出会うような幸運に恵まれた絶好の機会である」という意味で用いられていますし、ある中学校では、「人身受け難し、今已に受く」というタイトルで生徒向けに書かれた「今週の言葉」の中で「盲亀浮木」の比喩が紹介され、執筆された先生は「人間に生まれてよかった!」ことに感謝して生きることの大切さを伝えようとしておられます。

これら以外にも、多くの方々がこの「盲亀浮木」の比喩に感銘を受けて、その所感を述べておられますが、これを差別表現だと曲解して非難する人は見当たりません。唯一問題視しているのは、これを「目の見えない人を差別する表現だ」と、主張する人々だけです。

お釈迦さまが、この比喩を用いて説かれたことの真意を正しく理解しようとせず、差別表現だと非難したり、それを用いてみ教えを味わおうとする人に差別者のレッテルを貼ろうとしたりする行為を見ると、親鸞聖人が悲嘆された「外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり」の和讃を想起せずにはおれません。

このようなあり方においては、決して仏の証果に至ることはなく、自分こそが真の仏道を歩んでいる者だと自認することで、せいぜい世俗的な満足感を得られるだけです。それだけならまだしも、このようなあり方は『浄土真宗辞典 (本願寺出版社) 』に「仏の教えをそしり正しい真理をないがしろにすること」と説明される「誹謗正法」に該当すると思われるので、極めて深刻な状況に陥っているとさえ言えます。

ところが、私たちの教団内においては、なぜかこのような経典批判が是とされ、「盲亀浮木の喩え」を用いると、その文章全体の中で、どのような意図のもとに用いられているかどうかということは全く無視され、この比喩を用いたということだけで、差別表現をしたとして問題視されます。もちろん、大半の僧侶は、それが言い掛かりにも等しい行為であることは十分承知しているものと推察されますが、なぜか正面切ってその間違いを指摘する人は殆どありません。それはまるで、アンデルセン童話に出てくる有名な『裸の王様』に出てくる光景を見ているかのようです。この童話をご存じの方も多いと思いますが、一応紹介するとその内容は以下の通りです。

あるところに、おしゃれ好きな王様がいました。それを聞きつけて、ある日、とても珍しい服を作ることができるという2人の男が王様を訪ねてきました。

彼らは、「ふさわしくない地位についている者や、馬鹿な者には見えない、不思議な布を織ることができ、その布で王様のための服を作りたい」と言い、王様の了承を得ます。

実は、2人の男は実は詐欺師で、「ふさわしくない地位についている者や、馬鹿な者には見えない布」など作ることはできません。本当は存在しない布を、存在するように見せかけようとしているだけなのです。

王様の命令で、進捗状況を視察に行った家来たちは、当然のことながら2人の男が織っている布地が全く見えませんでした。しかし、王様に「布が見えませんでした」と報告することはできないため、「大変すばらしい布でした」と嘘をつきます。

いよいよ服が完成して、2人の男が王様のもとに服を持ってきましたが、もちろん王様も服が見えません。しかし、家来が見ることのできた布を王様が「見えない」と言うわけにもいかず、王様もまた布が見えているフリをします。

王様は、そのまま新しい服のお披露目のために城下町でパレードを行いました。町の人にも、不思議な布のうわさは伝わっているので、馬鹿だと思われたくないため見えない服を褒めました。

すると、1人の子どもが「王様は裸だ!」と、本当のことを叫びました。それをきっかけに、みんなが「やっぱりそうだったんだ」とうなずき、口々に「王様は裸だ!」と言い始めました。

そのため、王様はとても恥ずかしい思いをしました。

この童話は、「正しい意見を言うことの大切さ」や「周りの意見を聞くことの大切さ」を教えてくれています。私は、仏弟子の一人として、大きな過ちに口を閉ざすことなく、あたかもこの童話の子どものように、はっきりと本当のことを言いたいと思います。お釈迦さまの説かれた「盲亀浮木の喩え」は、決して目の見えない人たちを差別するものではなく、自身に説かれたものとして謙虚に耳を傾け、その語りかけの真意をきちんと理解し、今こうして生まれ難い人間に生まれ、会い難い仏法に出会えたことを心から喜ぶべきだと。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。