「燃える闘魂」

2022年10月1日、猪木寛治(通称:アントニオ猪木)さんが亡くなられました。79歳でのご逝去だったと言います。プロレスラー、政治家など多方面で活躍されており、ご存じの方も多いのではないかと思います。

「元気ですか!元気があればなんでも出来る!」という言葉と「1、2、3、ダー!!」拳を突き挙げるお決まりのポーズで親しまれ、まさに元気の象徴といった感じでした。

しかし、そんな猪木さんも全身性アミロイドーシスという難病を患い、晩年は死を意識していたと言います。猪木さんは、自身の最後の活動としてインターネットで動画投稿をされていました。ニュースにもなったので知っている方も多いと思います。

その動画には、いつもテレビで元気に声を出していた姿とは違い、ベットに横たわり起き上がることもままならない一人の男性の姿が写っていました。動画を撮影しているスタッフとの会話がありますが、口が上手く使えないのか、聞き取ることも大変な状態でした。しかし、絞り出すような声で今思うことを語られました。要約すると「今のこの自分のありのままの姿を見せること、自分の弱い姿を見せていくこと、それが今の自分に出来ること」という事柄でした。それは、とても有り難いお姿だと思いました。

 

「なごりおしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり。」

 

これは『歎異抄』という、浄土真宗で大切に頂いているお書物の言葉です。「ちからなくしてをはる」とは、大変印象的な表現のように思います。人間の生きる力というのは、どんなに壮健な人であっても、歳を重ねるごとに少しずつ確実に失われていき、最後は弱々しく消えていくものです。どれほど身体を鍛えても、健康に気を付けても、勉強を頑張っても、それだけは変えることができません。

「メメントモリ(死を思うこと)」という言葉があります。自らの死を受け止めるための最初の一歩が、人間の最後の姿なのかもしれません。私の最後はどんなものであるのか、猪木さんの動画を見ながら思うことです。年を取り衰えてベットで寝たきりのままで…、病気や怪我で長いこと療養生活を送りながら…、それとも災害や事故で一瞬にして…、このいのちの終わりをどのようにして迎えるのか、それは全く分かり得ませんが、身近なところでこれらのことを考え、触れておくことが大事なのではないかと思います。そして、これらの事を聞かせて頂く中に、浄土真宗の深まりが生まれてくるのではないかと思う今日この頃です。合掌

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。