泣いたり笑ったりして生きてきた今年一年も残りわずかとなりました。
泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑っていられたら良いのですが、私の心は私の思い通りにはなりません。泣きたくなくとも悲しくなりますし、いつまでも笑って過ごしたいと思っていてもそうはいかなくなるものです。人のことを憎みたくないけれど、時には憎しみでいっぱいになることもあります。腹なんか立てたくないけれど、腹が立って仕方ない時もあります。人は思い通りにならない自分の心を思い通りにしようとすることで苦しんでいかねばならないのです。
真理を覚られたお釈迦さまは、
「自己は自分のものではない」
と説かれました。「自己」とは自分の身体と心のことです。この身体はいつか崩壊していくもので永遠不滅のものではありません。心は一瞬前のことが現在に続き、現在のことが一瞬後に続いていきます。この一連の流れが心であり、心は確かな実体があり存在しているのではないと仏教では説かれています。
ところが私たちは身体や心を永遠不滅のものと考え、実体視しています。そしてそれらを自分のものと思い込み執着していきます。いつかはなくなるものであり、すべて一時的なものであり、ましてや自分ものではありません。これに欲望をいだき、執着し、悩み苦しむのが私たちの姿であります。
そのような私の姿が確かな教えに出遇うことによって知らされます。
その確かな教えをよりどころとすることによって、悩み苦しむ迷いの生き方を離れていく道が明らかになってきます。