『深い闇を抱えながら 光を仰いで生きる』

 今、自分のいる部屋が真っ暗になったとすると、そこで私達に出来ることといえば、おそらく手さぐりで部屋を出ていくことだけではないでしょうか。

そのように、光のない時の私たちの生き方は、あちらこちらを手さぐりしながら生きる他に、方法は見当たりません。

 この手さぐりの生活とは、具体的は自分の判断や自分の体験だけを頼りにして生きていくという在り方です。

けれども、自分の判断や体験を唯一の頼りとして生きていくと、私たちは物の見方が一面的になってしまい、物事の本質を見抜けなくなってしまいます。

 また、手さぐりの生活においては、どこまでも自分の体験だけが根拠となるために、何か自分自身を依り処にして生きているような気になります。

しかしながら、手さぐりの生活を続けていく限り、そのような自分自身の姿に目覚めるということは決してありません。

 仏さまの智慧は光で表されますが、それは手さぐりの自分の姿に目覚めさせて下さるからです。

たとえそれが自分にとって不都合なことであっても、それが事実である限り、我が身のこととして受け止め、生きてやく勇気と情熱となってはたらく、そのような「智慧の光」を仰いで行ける人生でありたいものです。