以前は「あの人は切れる人だ」という言葉は、一目置かれるような優秀な人のことを言い表す言葉でした。
けれども、いま誰かについてのそのような評価を聞くと「えっ!危ないヤツ」と感じ、なるべくならそのような人とは関わりを持ちたくないと思うものです。
同じ「切れる」でもその意味合いが全く異なっていることは言うまでもありませんが、現在しばしば用いられている「切れる」の意味は「怒りの感情を抑えきれずに、堪忍袋の緒が切れること」を簡略化して「切れる」と言い表されているように思われます。
ところで「堪忍袋の緒が切れる」という場合は、耐えに耐えて、とうとう我慢しきれなくなったことを意味しているのですが、単に「切れる」という場合は深い考えもなくその場の怒りの感情のままに自分自身を見失うさまを言い表していることが多いようです。
「こんなことになるとは思わなかった!」そんなつもりではなかったのに…」自分のしたことに気付いて発せられる言葉です。
私たちは、条件さえ揃えば何をしてしまうかわからない危うさを秘めています。
だからこそ、仏さまの教えをよりどころとして、自分自身を見失わない確かさを持ちたいものです。