以前「仏教を聞くということは、自我の心が崩壊していくこと」と聞かせてもらったことがあります。
それまで自分が培ってきた自信や誇りといったものが、ことごとく砕かれていく世界…。
それが聞法にわって出現するという訳ですが、そのような体験をされたこと、ありますか?
私達がいつも心に思い描いているのは、物事が何でも自分の都合の良いように運ぶ人生です。
ところが、現実は私の思いとは無関係に、しかも意に反することも多々起きます。
それでも夏になると「冬が良い」といい、冬になると「夏が良い」といったことを口にすることがあります。
自己中心的な思いに固執するあまり、不都合なことはなかなか受け入れようとしないばかりか、責任転嫁する愚かさを愚痴(ぐち)といいます。
そんな自分の姿に自分では気付くことが出来ないために、私たちは多くのことに迷い苦しむあり方に陥ってしまうのです。
苦しみ悩むということは、誰もが避けたいものですが、苦労と向き合って行く中で初めて見えてくる世界があります。
「そうじゃなかった!」と気付かされていく中に『俺が、俺がの「我」を捨てて、お蔭お蔭の「げ」で生きる』道が開かれてくるように思われます。