死後のことについては、昔から有と無の見方かなされてきました。
有は死後に霊魂が残り、無は死後に何も残らないとする考え方です。
仏教は有無の立場をとらず、お釈迦さまはお弟子の質問に対して「自らが言い・思い・行った三つの行為に因るのだ」と説かれました。
私の成した行為が、私の未来を作る「自業自得」という言葉がそれです。
結果から見ると、物事には必ず原因があります。
また、原因から結果に至る間には様々な条件が加わります。
この条件のことを「縁」といいます。
因縁・因果・縁起とはこれらのことを述べた言葉です。
よく知られている「地獄」とは、私が現在作っている業を、お釈迦さまが真実の眼によってご覧になられて、やがて受けるであろう結果として説き明かされた、いわば私の未来のことです。
つまり、地獄というのは、どこかにそのような世界があるとして作られた世界お伽話ではなく、日々私が作っている業の結果を比喩的に言い表されたものなのです。
ところで、あなたはこれまでに「殺した」ことはありませんか? また、その数を覚えていますか? 殺してきたいのちの数を、さらには諸々の罪業の数を教え、その報いを受けさせるのが地獄だという訳です。
仏教では、悪業の根本原因を自我といいますが、まさに私たちが生きて行く中で迷い苦しむのは、決して外に原因があるのではなく、この私自身の中にあるのです。
だからこそ、仏教で教えを聞くということはどこかの誰かのことを聞くのではなく、この私自身について深く聞くことであると言われるのです。