「今をいかに生きるか」(1)4月(前期)

 「生きる」ということを問題にした時、私たちは通常、次の三つの事柄に目を向けます。

一は幸福な人生、二は正しい生活、三は心のやすらぎです。

この三つがかなえられれば、おそらく誰もが自分の人生は「素晴らしい人生だ」と感じることが出来るのではないでしょうか。

心がいつも安らかであり、正しい人間生活が営まれており、しかもその中で楽しく豊かで幸福な人生が過ごせる。

これに勝る人生はありませんから、この三つを願わない人はいないと思います。

では、この三つの願いを実現させるためには、どのような方法があるでしょうか。

まず一番目の「幸福な人生」について考えてみます。

現代において、豊かで明るく、便利で楽しい生き方を願うとすれば、まず「科学」が人生にかかわってくることになります。

百年前、五十年前、そして現在へと続いている私たちの生活を顧みますと、明らかに科学の発達にともない、生活は便利で快適で豊かになってきています。

したがって、科学は確かに人間生活を豊かにし、幸福な道を与えているのですが、けれども一方ではその科学がまた人間を不幸にしている面もあります。

 教育によって科学的な思考方法を学び、そのような生き方が重視されれば、当然、宗教的な生き方は軽視されることになります。

けれども、その科学によって幸福な人生が得られないとなると、途端に科学は捨てられ、宗教が求められることになります。

そして、そこで求められるのは「幸福を得るための宗教」ですから、人々において期待されるのは必然的に「現世利益を説く宗教」ということになります。

人は科学によって幸福を求め、それが駄目なら宗教によって幸福を求める。

それが、今日の私たちが求めている心になるのではないかと思われます。