「親鸞聖人の念仏思想」 (4)9月(前期)

たとえば、ある人が仏教以外の教えに導かれて、一生懸命に善に励むとします。

この人には、教えに基づいた主義や主張があり、また理想があります。

それは、この人にとっては時間し場所をこえて真理であり、その教えは不変です。

この点で、この教義は仏教の無常の教えと正反対になり、常住であることがこの教えの欠かせない条件になります。

そうしますと、この人はどこへ行っても自分の教えこそが正しいと主張することになり、しかもその正しい教えにしたがって、自分の考えたところの善を、一生懸命に実践することになります。

ところで、ここにもうひとり、先の人が信じている教えとは異なる、仏教以外の教えに信順している人がいるとします。

そうなると、この人もまた、その教えに導かれて自分の教えこそが正しいと主張することになります。

さて、そうなるとどのようなことが起こるかというと、どちらも自分の教えの真実を論じて、一歩たりとも譲らないということになり、そこに大きな争いが発生する可能性が多分にあります。

実際、歴史を振り返ると、国を滅ぼすような戦争はこのような互いの信じる正義と正義のぶつかりあい、言い換えると善と善とのせめぎあいが、多くの悲劇をもたらしてきたことが知られます。

宗教戦争や民族紛争などは、その典型といってよいかもしれません。

ここでは、悪をしようとして悪をおこすのではなく、善をもたらそうとして悪がおこなわれているのです。

この悪の背後にあるものは何かというと、自分こそ正しい、自分が絶対であるという自己中心性であるといえます。