『私の「ものさし」と違う 仏さまの教えの「ものさし」』

ある農家のおじさんが、鍬を片手に畑仕事に行った時のお話です。

一生懸命鍬(くわ)で畑を耕していたら、なんと鍬の柄が折れてしまったそうです。

おじさんは困って、鍛冶屋に走って行き、鍬の鉄の穴を拡げて柄を押し込んでもらうことにしました。

おじさんは、また元通り鍬が使えるようになって「めでたし、めでたし」と思ったそうですが、このお話どこかおかしくありませんか?

普通、鍬の柄が折れたら柄の方を削って、穴に合わせて入れようとするものです。

わざわざ鍛冶屋に行って、穴を大きくして柄に合わそうとするなんて!

でも、実はこのお話は、私と阿弥陀様の関係と全く同じなのです。

試みに、鍬の穴を私、柄を阿弥陀様に置き換えてみましょう。

私たちは、阿弥陀様の願いを聞かせていただいているにもかかわらず、迷信に惑わされたり、占いに頼ったりと、拡がらない穴を、拡げよう拡げようとして、なかなか素直な心で阿弥陀様のお言葉に耳を傾けることが出来ません。

ところが、そんな私の姿を見抜いて「あなたは、あなたのままでいいんですよ。

そのままのあなたを、私は救わずにおきません。

」とおっしゃられたのが阿弥陀様なのです。

まさに自分の身を削ってまで、阿弥陀様の方から私に合わせて頂いているのです。

このことを、お念仏を心から喜ばれた方が「ご恩尊や南無阿弥陀仏。

お慈悲かたじけなや南無阿弥陀仏」と嘆じておられます。