『初灯明 ひかりといのちきわみなし』

新しい年を迎えました。この一年の始まりを、あなたはどのような思いで迎えられましたか?

さて、昨年はさまざまな事がありました。

特に「いのち」について、深く考えさせられることが幾度もありました。

中でも悲しいことに、虐待・いじめなど子どもたちが痛ましい出来事に襲われることがあまりにも多くあり過ぎました。

なぜ、そのような悲惨な出来事が次々と起きるのでしょうか。

それは私たちに今「いのち」のすがたが見えなくなってしまっているからではないでしょうか? 

言い換えると、私たちは昨日・今日・明日という一日一日を「生きていて当然」という考え方に陥ったまま生きているのではないでしょうか。

「いのちのすがたを見る」ということは、まず自分のいのちを見ていくということです。

よく「いのちは自分だけのもの」といったことを口にする人がいますが、果たして本当にそうなのでしょうか。

日々の生活に目を向けると、決して「そうだ!」とは言い得ないはずです。

考えてみますと、私のこの「いのち」は、親や先祖の方々のいのちと深く繋がって成り立っています。

そして、こうして一日一日を過ごして行けるのも、生きものや植物の「いのち」をいただいているからこそだといえます。

まさに、そのような繋がりがあってこそ、私の「いのち」というものは成り立っているのであり、単に私のいのちが独立して成り立っている訳ではありません。

お互いに支えられ、支え合いながら生きています。

もちろんそれは私だけのことでなく、誰もがそのようないのちを生きています。

けれども、多くのいのちに支えられているという事実に、自ら気付くのはなかなか容易なことではありません。

また何度そのことを聞いても、ともすれば忘れがちな私のこころを、常に明るく照らしてくださる阿弥陀様のおはたらきがあればこそだといえます。

新しい年を迎えるにあたり、この一年を阿弥陀様のみ教えに照らされながら、私のこのいのちは、生きとし生けるものの恩恵によって生かされていることへの謝念を忘れずに過ごしていきたいと思うことです。