早いもので、今年も残りわずかとなりました。
この一年はあなたにとって、どのような一年だったでしょうか。
振り返れば、悲しいこと・嬉しいこと・辛いこと・楽しいこと、いろいろなことが折り重なり、まさに悲喜こもごもの一年だったのではありませんか。
また、今年新たに出会った人がいる一方、別れを告げた人もいたりされたことと思われます。
中国の古い言葉で「今日感会 今日臨終」というのがあるそうです。
『今日会って、お互いとても良かった。
その気持ちを大切にしよう。
でも今日会うことが、もしかするとこの世で会う最後になるかもしれない。
』という意味でしょうか。
これに似た言葉に「一期一会」があります。
こちらは、『一生において一度だけの出会い』ということで、まさしくこの世の道理、この世の事実を言い表している言葉です。
それに対して「今日感会 今日臨終」という言葉は、「今日」を生きている身において、深い痛みをもってうなずかれ、聞きとられた言葉であるように思われます。
また「臨終」の自覚は、そのまま今生きていることへの驚きと感動を思い知った者の言葉であると言えるようです。
人間誰でも、死ぬことは嫌なことです。
不安であり、恐ろしいのです。
だから、日ごろ私たちは、自分の死から目をそらし、気晴らしに明け暮れをしてしまうのです。
けれども、必ず「死すべきもの」として今を生きているにもかかわらず、恐ろしい、見たくないとその事実から目をそらしている限り、その生活はどこかにごまかしの色を帯びて来るものです。
しかし、私たちの生は必ず死ぬという事実を含んでいる生なのです。
つまり、死は決して生の外に、生と別にあるものではないのです。
私のこの命が生き、私のこの命が死ぬのです。
「死の自覚こそ生の愛である」という言葉がありますが、死ぬことを知りつつ生きるというところに、つねに生きることを問い、その意味を尋ねずにはおられない、人間としての生き方があるのだと言えます。
「死すべきものが今生きている」という事実に心を寄せるとき、間もなく暮れて行くこの一年の終わりにあたって、「恵まれたこのいのち」に「ありがとう」の言葉を捧げたいと思います。