『今年も暮れる 恵まれたこのいのち ありがとう』

今年も師走を迎えました。

先に臨む一年と過ぎ去った一年では時の長さが違うのかと思うくらいに過ぎた時間は速く感じられるものです。

皆さんはどんなお心持ちで師走をお過ごしの事でしょうか。

なんとなく当たり前のように、「あーまた一年過ぎようとしているんだな〜。

ほんとに速いな〜。

」くらいに思っている人も私を筆頭に多いんじゃないかと思います。

しかし、私達が当たり前のように迎えているこの年の瀬を、迎える事が出来なかった数多くの人々がいらっしゃるという事もまぎれもない事実です。

ハイデガーというドイツの哲学者が、死は究極の可能性だと言いました。

起きている時も寝ている時もたとえ家に閉じこもっていても、常にその次の瞬間に「私が死を迎える」という可能性が付きまとっているという意味において、究極の可能性だと言うのです。

本願寺八代目の蓮如上人が、後に白骨のご文章と呼ばれるお手紙の中に人のいのちのありさまを「明日(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕べには白骨となれり」としたためられたことは、まさに私達が今生きているこのいのちの姿をそのまま言い表された言葉でありましょう。

「明日の約束のないいのちが、今ここにある。

またそのようないのちを抱えながらこうして一年という月日を過ごす事が出来たんだ」と、自分のいのちを見つめる事ができたその時に、自ずと出てくる思いが、感謝の思いではないのでしょうか。

師走といえば忘年会のシーズンです。

たとえ今年あった事を忘れても、私のいのちを支えている深いいのちのはたらきを忘れてはならないのだと思います。