私の実家は、浄土真宗の門徒です。

私の実家は、浄土真宗の門徒です。

けれども、お寺に嫁ぐ前は、観光でお寺を拝観することはありましたが、所属しているお寺に行って聴聞することはなく、浄土真宗の教えについて、深く考えることもありませんでした。

しかし、お寺に嫁いで生活し、お聴聞していくうちに思うようになったのは、浄土真宗は色々な苦しいことや不幸なことが起こったとき、それの解決策を他にもとめようとする教えではないということです。

というのは、例えば何か不幸なことが起これば、他人のせいだとか、祟りや霊のせいだとか、また、どこかのお寺や神社で祈願すれば良くなるとか、ご利益があるとか、そういうものがまったく入り込む隙のない教えだと気づかされたことです。

それは、私が持っていた宗教全般に対する感じ方に、衝撃を与えるものでした。

大切なことは、仏様の教えを聞くことによって、自分の真実の姿に気づかされ、それを受け止めて生きていくことが大事であることと。

そして、何よりもこの私のために仏法があるのだということを知らされました。

これからも日々を生きていくなかで、うまくいかないことがあり、その中で真実の自分を受け止めていくことは難しく、つらいことだと思いますが、そんな愚かな私にも見守ってくださる存在があるという安堵感をもちながら、精進していきたいと思っています。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。