『苦しく悲しくつらい時は 育てられている時』

最近、父との別れがありました。

5年程前、検査の結果、癌であることが明らかになり、それから手術・再発・手術の繰り返しでした。

最後は、外科的な手段はなくなり、しばらくは、抗がん剤による治療を続けていました。

最後の1ヶ月間は本人の希望もあり、病院での抗がん剤の治療もやめ、自宅に帰り、痛み止めの薬を服用しながら療養していました。

しばらく、病院に入院しておりましたのでベットとトイレの往復ぐらいしかしていなかったため、だいぶ足も弱ってきていたようです。

しかしながら、自宅に帰ってきてから、調子のいい時は境内を散歩したりすることもありました。

その後姿だけ見ていると、しっかりとした足どりで元気な人となんら変わらない様子でした。

散歩を終えて帰ってきた時、父は

「元気な時は、こんな感じで歩いていたんだろうなあ。

普通に歩けることがこんなにすごいことだとは思わなかった。

人間というのは本当に愚かだなあ。

病気になってみないと健康の大切さに気付くことができないのだから・・。

しかしそういう自分の姿を癌というご縁によって気付かせてもらえた。

癌もまた尊いご縁だったなあ・・。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」

としみじみと語っていた姿が思い出されます。

南無阿弥陀仏のお念仏に出遇っていくということは、願い事がかなったり、病気が治ったり、お金が儲かるようになるというのではありません。

良いご縁も悪いご縁も全てのご縁が自分の人生を深めてくれる尊いご縁であったと受け止めていけるようになる。

そういう自分に作り変えられていくということではないかと思うのです。

どんなにつらく悲しい状況になろうともそのことを真正面から引き受けてのりこえていく智慧と

力とを与えてくれるものこそお念仏の教えなのです。

この教えに支えられながら私に与えられた今・ここを大切に過ごさせて頂きたいと思います。