『苦しく悲しくつらい時は 育てられている時』

人は誰でも幸福を願い、不幸からは逃れたいと思っています。

ですから

「自分は常に幸福でありたい。

そしても、不幸にはなりませんように…」

これが偽らざる私たちの願いだといえます。

けれども、現実はなかなかその願い通りにはいきません。

心から幸福を求めているのに、それが手に出来ないばかりか、反対に、しかも突然、不幸が降りかかって来ることがあります。

では、私たちの人生において、幸福や喜びに満ちた人生を得ようと努力することは無駄なことなのでしょうか。

決してそのようなことはありません。

私が人として生きる限り、当然、人間としての喜びに満たされることは、何よりも大切なことだといえます。

それは、ただ一度限りの人生において、もし幸福を得ることが出来なければ、なぜ自分がこの世に生まれてきたのか、その意義が見失われてしまうからです。

このような意味で、一人ひとりが自分自身の理想の人生を描いて、明るく喜びに満ちた人生を歩むことが求められているといえます。

ところで、よく結婚披露宴の祝辞の中で

「長い人生は決して平坦なものではなく、山があり川がある。

喜びもあれば悲しみもある。

それを二人の愛の力で乗り越えていくように」

といった内容の助言が語られることがあります。

少し考えれば、これは誰にでも明らかなことなのですが、それがこのような場面でしばしば語られるのはなぜなのでしょうか。

それは、幸福の絶頂ともいえる新たな人生の門出において、二人が描いている未来においては

「この絶頂の喜びは、いつまでも続くものではない」

ということを教えようとしているのだといえます。

そうしますと、私たちにとって意義ある人生とは、自分の人生だけが幸福に包まれる、喜びのみに満たされることではなくて、不幸の原因である、悲しみや苦しみ、悩みや失敗を含みながら、この今を懸命に生きることにあると言えます。

人生は、悲しみだけでも、喜びだけでもなくて、必ず

「悲しみがあれば、喜びがある」

ものだからです。

けれども、実際的には、幸福に恵まれ、喜び多い人生を送っている人は少なく、むしろ悲しみの中に人生を終えている人の方がはるかに多いと言えます。

そこで、一般には

「人生には喜びもあれば悲しみもある。

したがって、悲しみの中でいたずらに悲嘆にくれるのではなく、

必ず喜びの人生がやって来ることを信じて、希望を持って生きなさい」

と教えられます。

しかしながら、私たちが生きていると実感できるのは常にこの「今」だけです。

つまり、今を生きるしか道はないのです。

もちろん、未来に希望を持つことを全面的に否定するつもりはありませんが、何よりも大切なことは、

「今を懸命に生きること」

だと言えます。

たとえ、苦しくても、悲しくても、つらくても、その時々を懸命に生きることは、その人の人生において充実した時を過ごしている時だと言えるからです。