「念仏の教えと現代」10月(中期)

また、浄土真宗のご門徒の方がご法事や研修会の場でよく質問されるのは、お仏壇のお飾りの仕方や、方角、置き場所など、あまり本質的ではないことが大半です。

このことは、今日の人々の心を支配していること、言い換えると人々が何を問題にしているかというと、結局仏教儀式においては、仏壇のお荘厳の仕方が最大の関心事になっているということです。

これは日本人の宗教意識の根底をなすといっても過言ではないあり方ですが、宗教についての最も強い関心事は、

「祟りを祓いのける」

という、その一点にあるといえます。

もし死者に対して、自分が間違いを犯したならば、自分の家族に、そして自分自身に何か悪いことがおこるのではなかろうか…、といった思いが常にあるのです。

作家の芥川龍之介は

「日本人には作りかえる力がある」

と述べています。

これは、日本人は外国から入ってきた仏教や儒教、キリスト教などをその都度受け入れてきたが、それは決して教えそのものを受け入れたのではなく、怨霊を鎮めてくれるものであれば何でも良かったということです。

例えば、奈良の大仏は純粋な仏教信仰からではなく、権力闘争で死んでいった人々の慰霊鎮魂のための舞台装置であったという見方などは、これによるものだといえます。

したがって、人々は今日いたってもなお怨霊あるいは死霊、亡くなった方の霊が自分達に何か悪いことをするのではないかということ常に心配しているのです。

そこで、災いを被らないようにするために、お仏壇の荘厳の仕方などが熱心に問われることになるのですが、残念なことにその一方で念仏の教えがなぜ真実なのか、念仏を称えるとなぜ仏になるのかといった、浄土真宗の教えの根本については、聞く人があまりみられません。

現代が科学の時代であるということは疑うべくもないのですが、知性に満ち満ちて、理性的に道理に即して生きるという姿とは全然違った、今ひとつの生き方が存在しています。

それは、まさに不吉だと思われること、あるいは霊の祟りだと他人から指摘されたこと、そういう事柄に対して必死になってお祓いをするという、科学的な知識からするとまるで問題にはならないようなことが、厳然として現代の社会で廃れないばかりかむしろはやっているという現象が生じていることです。