「いのちと向き合う」(下旬)自分の死に方を心得ていた

親父さんは、最期まで一言も死に対する不安を言いませんでした。

あるいは、心の中では思ったかもしれませんが、その口から聞いたことは全くありませんでした。

泰然と、自分の死に方を見つめながら最期を迎えたんです。

やはり、医師だからだったんでしょうか。

すごかったなと思います。

結果的には、いい死に方だったと今でも思います。

あれが延命治療を続けていたら、お互い悲惨な結果になったんじゃないでしょうか。

その最期は、まるで西行法師が歌い、多くの人の共通の願いでもある

「願はくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ」

という歌のようでした。

ちょうど、桜島が澄み渡っている春の朝、静かに一生を終えました。

そういうのもあって、うちの病院の緩和ケア病棟には、桜を記念樹として植えさせてもらっています。

春になってその桜が咲くたびに、西行法師の歌と重ね合わせながら、親父さんを思い出します。

親父さんは、本当に自分の死に方を心得ていたなと思います。

最近、尊厳死を含めて、安楽死、脳死、人工呼吸器のことなど、生命倫理に関する問題が非常によく取り上げられています。

僕自身も、1・2年前までは、ピンピンコロリンの死に方が望ましいと思っていましたが、人間はそんなに簡単には死ねません。

人間は、生まれてきてちゃんと一人で歩けるようになるまでには、1・2年はかかるものですよね。

だったら、ピンピンコロリンで死ぬのもいいんですが、晩年の2・3年くらいは、人の手を煩わせて、お世話になりながら死んでいくのも仕方のないこと、ある意味人間らしい死に方何じゃないのかなというように、今では思うようになっています。

とはいえ、これも思い通りにならないのが世の中です。

尊厳死についても、最近は延命の問題と絡んできています。

高齢化社会を迎えた今の日本の医療現場では、そこまでするのかというくらいに、無理に苦しませるような延命治療が盛んに行われています。

だから、そんな状態になる前に、元気な今だからこそ、自分の死に方をある程度思い描いていた方がいいんじゃないでしょうか。

いわゆるリビングウィルというやつですね。

自分が元気なときに、自分の死に方を考えたり、ああいうときにはこういう風にしてほしいという意思表示をするんです。

それは、若いときから出来ることです。

人間には永遠のいのちなど備わっておりません。

元気な今こそが、そういうのを考えるチャンスなんじゃないかと思います。