「限りなきいのち〜死を超えた慈悲〜」(上旬)死に直面すると、当たり前の日常が輝いてくる

======ご講師紹介======

鍋島直樹さん(龍谷大学教授)

☆ 演題「限りなきいのち〜死を超えた慈悲〜」

ご講師は、龍谷大学教授 鍋島直樹さんです。

昭和34年、兵庫県生まれ。

龍谷大学に教授として勤務。

真宗学、親鸞聖人の生死観、仏教の人間観を専門とされ、あらゆるものが相互に支え合っているという縁起の教えに基づき、いのちへの非暴力・感謝・慈悲について研究をしておられます。

また大学院時代の入院の経験から終末期ケアにも携わられ、文献による仏教解釈だけでなく、死に行く人の苦しみを和らげる教育研究を志し、仏教の生命観を基に臓器移植やクローンといった現代のいのちの問題に取り組んでおられます。

==================

「われ今幸いに、まことのみ法を聞いて、限りなきいのちをたまわり、如来の大悲にいだかれて、安らかに日々(にちにち)を送る」

この限りなきいのちをたまわるとは、どういうことなのかを今日は考えてみたいと思います。

僕は長い間、死に直面した人たちの願いを考え、研究してきました。

それで少しずつ分かってきたんですが、その願いというのはおよそ3つあるんですね。

そのうちの一つは

「日常性の存続」

です。

死を受容することなんかが目的じゃないんです。

新しい日常が、また今日も過ごせたということ、これが亡くなっていく人の願いなんですよ。

特別なことじゃないんです。

家族と一緒に過ごせる、今日は誰かと話せた、それがたまらなく嬉しいんですよ。

僕は昔、百人くらいの学生に、あと一カ月のいちのだとしたら何をしたいかと聞いたことがあります。

すると、多くの学生が旅に行くと言いました。

でも、そういう中では、やっぱり家族と一緒に過ごしたいとか、京都に勉強に来ている子は故郷に帰って、そこで最期を過ごしたいか、そういう日常の当たり前のことが輝いてくるんですよ。

宮沢賢治の

『銀河鉄道の夜』

という物語があります。

銀河鉄道は、死んだ人たちが乗る列車です。

この話は、宮沢賢治自身が死に直面したこと。

そして賢治の妹トシが24歳で亡くなったとき、26歳の賢治が自分のひざ元で、妹を看取った経験から来ています。

「あめゆじゅとてちてけんじゃ」

〜どうかお兄ちゃん、みぞれを取ってきて、のどが渇いたと。

そうして、みぞれを取って来て口に含ませると、

「ありがとう」

と言って死んで行った。

そういう妹のいのちは輝いていたんですね。

私にこんなことをさせてくれてありがとうと

『永訣の朝』

に書いてあります。

そのように、死に直面した人は、当たり前の日常が輝いてくるんです。

二つめは

「願いの継承」

です。

亡くなっていく人たちは、それぞれ願いを持っています。

それをちゃんと受け止めて行くことが、死んで行く人たちの願いじゃないでしょうか。

青木新門さんの話になりますが、青木さんはお母さんのレストランを継ぎ、その後、納棺夫になりました。

最初は妻にも言えず、家族にも親戚にも反対されて、誰一人として自分の仕事に賛成してくれる人はいませんでした。

そんなある日、自分が昔大好きだった人のお父さんが死んだとき、遺体を一生懸命きれいにしていた青木さんの汗を、その人がぬぐってくれたんです。

誰からも見下げられていた納棺夫の仕事ですが、それでこの仕事をしていこうと思ったんですって。

さらに、大反対していた親戚の長のおじさんが危篤状態になり、青木さんは他の人に言われて会いに行きました。

そこで青木さんは、おじさんの意識が戻ったらまた

「親戚中の恥だ」

と言われると思ったそうです。

すると酸素マスクをつけたおじさんがモゴモゴとするので、耳をそばだててご家族の人と一緒に聞いてみたら、

「ありがとう」

と言ってくれたんですって。

その言葉を聞いて、納棺夫の仕事をして良かったと思うようになったと言います。

自分の気持ちを丸ごと受け止めてくれる人がいたら安心できるんですよね。

「ありがとう」や

「すまなかったな」

という言葉ほど、美しい言葉はないのではないでしょうか。

これが願いの継承です。