晴れの天気なのに風は冷たく、寒い季節になってきました。
そんな時、よくこんな言葉を耳にすることがよくあります。
「今日はいい天気なのに、寒いなぁ」
また、雨や曇りの時にはそれがこんな言葉になります。
「今日は天気が悪いから、一段と寒い感じがしますね」
この言葉の中にでてくる
「いい(よい)・悪い」
つまり晴れと雨に対する評価の違いはどこにあるのでしょうか。
私たちにとって、自分が何かするのに都合がいいのが
「よい天気(晴れ)」、
不都合なのが
「悪い天気(雨・曇り)」
ということになっているように思われます。
しかし、天気は別に私たちの都合にあわせて晴れたり降ったりしているわけではありません。
それを私たちの都合で
「よい」
とか
「悪い」
と分けてしまうのは、結局私たちの身勝手ではないかと感じます。
ところで、あなたは自分の身のまわりにいる人たちに対しても、そのように分けて考えてしまうことがあったりはしませんか。
自分に優しくしてくれる、あるいは自分に利益をもたらしてくれるひとはよい人。
逆に、自分に対して嫌なことを言ったり、不愉快な想いをさせる人は悪い人、と。
よくよく考えてみると、私たちはいつも自分の都合だけで物事を判断しているのではないでしょうか。
つまり、自分中心のものさしで、あれはよい人・よい事・よい物、これは悪い人・悪い事・悪い物という見方で分けてしまっているように思われるのです。
天気の善し悪しの話を聞いていると、自分の都合ばかりで物事の本来の姿をみることを忘れてしまっている、そんな自分中心の見方をしてしまっていることに気が付かされます。
仏さまの教えは、物事の様をありのままに見ていく教えです。
したがって、仏さまの教えを聞くことを通して、いつも自分中心の生き方をしてしまっていることに気付かないまま、目の前の出来事に一喜一憂している自分の姿に気付かせていただけるのは、とても有り難いことではないかと思います。
そんな自分自身の姿を見つめさせてくださる教えをいただきながら、ものごとの本質を見極める視点を賜り、善し悪しに惑わされることのないよう過ごしていけたら…、と思う次第です。
その日その日を、自分の都合に惑わされることのないよう、心豊かに味あわせていただこう、そう感じる今日の晴れの天気でした。