日課の一つに、朝夕に散歩をしていますが、始めて8カ月ほどになります。

日課の一つに、朝夕に散歩をしていますが、始めて8カ月ほどになります。

しかし、最近は朝が寒くて布団からなかなか出られず“今日は休もうか”との思いと、休んだら後で落ち着かないので“歩こう”との思いが葛藤する日々です。

運動不足解消の為にはじめた散歩ですが、歩いてみると新しい出会いや発見があり、なかなか楽しいのです。

私の住む地域は過疎化で、あまり人とは会わないと思い込んでいたのですが、歩いているとそうでもありません。

道ばたで話し込むおばちゃんや、散歩している方など出会いがあります。

すれ違えば、挨拶・世間話といった休憩を兼ねた時間が待っています。

また、普段車での行動が多いので、歩くという行為は視界が広くなり、私に色々なことを気付かせてくれます。

季節ごとの自然の変化や、田んぼの田植えから稲の生長、収穫の様子などもじっくり観察できたりします。

毎日、当たり前のように食べていたお米が、農家の方のご苦労や太陽・水といった自然の恵みで育っていることに気付き、その“おかげ”を私が頂いていたのだと感謝することです。

一方、色々な発見は楽しいことばかりでもありません。

ゴミが非常に多いのです。

空き缶やお弁当の容器などが道端や山に捨てられています。

おそらく車だけの生活では気付かなかったことでしょう。

ゴミを捨てるのは人間の勝手ですし、自然にもよくありませんし、しかもそのような道を歩く時は悲しい気持ちになります。

そこで、悲しい気持ちで歩くのも嫌なので、少しずつ拾うようにしていますが、無くなるのは難しいでしょう。

「散歩」

…、ただ歩くだけのことなのですが、歩くことによって見えにくいことに気付いたり、様々なことを考えさせられたりと、今では私にとって大切な日課の一つとなっています。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。