「親鸞聖人が生きた時代」8月(中期)

法然聖人は、親鸞聖人の生まれた二年後の承安三年(一一七五)余行と袂を分かって浄土一途に帰依されますが、法然聖人をしてそのような決断をさせたのは、中国の善導大師の著された

「観経疏(かんぎょうしょ)」

に見える

「仏の本願は一向に専ら弥陀の名号を念じる(念仏する)ことにある」

という一文だったと伝えられます。

「観経」

とは、浄土三部経の一つ

「観無量寿経」

のことで、疏とはそれに付した註釈文のことです。

そうすると、法然聖人は経典ではなく、註釈文を拠りどころにして自己の信仰を決定し、一宗を建立されたことになり、これはわが国の仏教史上、破天荒の行為であったといえます。

なぜなら、仏教の常識では経典が信仰の原点であり、既存の諸宗も例外なくその原則に従っていたからです。

法然聖人がその思想を明らかにされた主著は『選択本願念仏集』です。

これまでの仏教の既成概念から外れた法然聖人の帰信は、まさにその選択でした。

またそれは、一身を賭しての、いわば捨て身の選択であったともいえます。

このような、ある意味で論理を超えた法然聖人の直感的な選択は、その弟子である親鸞聖人にも受け継がれています。

『歎異抄』には、

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。

念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべらん。

また地獄におつべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり。

この文中の

「よきひと」

とは、法然聖人のことです。

親鸞聖人はそうおっしゃったあと、さらに言葉を継いでさらりと断言されます。

たとひ、法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろふ。

念仏することが、浄土往生を保証するのか、それともと地獄につながるのか、それは自分の関知するところではない。

自分はただ師法然聖人の教えを信じたまでで、たとえその教えが誤っており、地獄に堕ちたとしても、いっさい後悔するつもりはないと言われるのです。

まさに、直感的選択そのものと言えます。