「母情仏心」(前期)前席〜母情仏心

======ご講師紹介======

藤野宗城さん(節談説教・真宗大谷派浄念寺住職)

☆演題 「母情仏心」「大満読誦の大行」

ご講師は、藤野宗城さんです。

昭和16年生まれ。

龍谷大学文学部を卒業し、昭和38年に真宗大谷派浄念寺の住職を継職。

子どもの頃より高座説教、節談説教を聞いて育ち、21歳で初めて高座で説教をされた後、布教の鉄則

「聞け、書け、語れ」

を実践し、節談説教を独学で修められました。

さらに昔の節談説教を現代の法話に取り入れ、老若ともに聞ける説教をモットーに

「藤野節」

を創始し、今日に至ります。

「節談説教布教大会」のDVDをはじめ、『藤野宗城説教集』『よもやま談義』といった著書。

その他CDやカセットも出しておられます。

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「釈迦弥陀は慈悲の父母、種々に善巧方便し、われらが無上の信心を発起せしめたまひけり」等…。

このたびは、ようこその御参詣、まことにご苦労さまでございます。

さっそくのお味わいでございますが、ただ今のご讃題(さんだい)の言葉は、浄土真宗の宗祖親鸞聖人がお作りくださいましたご和讃の中にある善導讃の一首をちょうだい致しました。

前席におきましては、ただいまのご讃題をいただきまして、お取り次ぎ申し上げる次第でございます。

さて、これはどういう意味かと申しますと、お釈迦さまは私にとって、まことに慈悲うるお父さまであり、阿弥陀さまは母親であり、この私を救わんがために、いろんなご方便をこうじられて、他力の真実信心を起こさしめんとはたらいていて下さったということですよ。

いろんな宗教がありますが、信心を言わん宗教はございません。

ところが、私どもにおきましての信心は

「発起せしめたまいけり」。

私が起こす信心ではなく、如来さまが起こさせて下さった、お与えくださった信心なんです。

私から出向いていく信心じゃない。

阿弥陀さまからまるまる与えられるところの信心。

これを他力回向の信心と申します。

ところが、世間では信心について、とんでもない誤った受け止めをなさっている方が多うございます。

例えば

「あの人は神社仏閣によく行かれる。

信心深い人やな」

と言いますね。

これは決して悪いことじゃございません。

しかし、その方々はどんな気持ちで拝んでいなさるんでしょうね。

お家でも、朝、お内仏さまにお参りしなさる時、どういう心で手を合わせておられるのでしょうか。

もし

「今日も一日、無事でありますように」

「何も起こりませんように」

というお参りの仕方をしておりましたらね、何十年お参りしていても救われません。

だめです。

お家のお仏壇、あるいはお寺へお参りなさったときでも、願い頼みじゃないんです。

我々のいのちというのは、オギャーと生まれて、そしてずっと何十年生きて死んで終わるんじゃないんです。

いのちというのは、死というのはそういうものじゃない。

この世にいのちを頂いたとたんに死を抱えておるんです。

だから、その死がいつ来るかわからんのです。

特に高齢になってくると、場合によっては夜中に死んでしまうかもしれません。

ところが、朝、無事に目を覚ました。

目を覚ましたということは、今日もいのちを頂いたということです。

だから目を覚ましたんですよ。

誰だって出すより頂く方が好きでしょう。

何か物をもらったら、一言

「有り難う」

とお礼を言いますよね。

ましてやつまらん物どころか、尊いいのちを頂いたんじゃから、

「今日もいのちを頂きました。

有り難うございます。

今日も精一杯生きさせて頂きます」

と、お礼を言わなきゃいかんですわ。

お仏壇の前、仏さまの前はお礼を言う場所です。

願い頼みする所やないんです。

でも、これがなかなか難しい。

人間誰しも、ものごとが都合通り進むときは

「おかげさん」

「有り難い」

と言うてますけれども、都合悪くなったら、なかなかお蔭さまという言葉は出てこないですね。

だから、どんだけお礼が言える日暮らしが出来るかということが大事なことですね。

〜「母情仏心」あらすじ〜

北陸の寒村にある貧しい家にマサオ君という子どもがいました。

12歳のとき、勉強のため、京都のお寺に行くことになります。

このときマサオ君は

「大学を卒業するまで絶対家には帰らない」

とお母さんと約束していました。

しかし、お寺の暮らしと勉強の辛さ、寂しさから、とうとう逃げ出してしまいます。

12月のある日、親恋しさで故郷に帰ったマサオ君でしたが、待っていたのは

「何をしに帰ってきた。

約束を忘れたか。

早く京都に帰れ」

と言うお母さんの冷たい態度でした。

その晩、寒い土間で寝させられたマサオ君は悔し涙を流し、

「あれは親じゃない、鬼だ。

こんな家に二度と帰るものか」

と心に決めます。

以来8年間、一切の便りを絶ったマサオ君の元に、

「母危篤」

の電報が届き、マサオ君は仕方なしに帰りました。

そこで、お母さんが最期までマサオ君に会いたがっていたこと。

8年前の晩、かわいい我が子を一晩中心配していたこと。

マサオ君が出ていった後、

「許してくれ」

と畳をかきむしって泣いていたことを聞かされます。

お母さんの本当の思いを知らされ、マサオ君は大声で泣いたのでした。

お父さんの言葉により、初めてお母さんのお慈悲の心を知らされたマサオ君。

ちょうど今もそのごとく、お釈迦さまのお言葉によって、阿弥陀さまの広大な親心を知らせていただく。

まこと、その親心をしらさせていただいたならば、喜ばずにはおれません。

謝らずにはおれません。

煩悩具足のこの私が、いかに親さまに背こうとも、その阿弥陀さまの方が

「ワシはお前の親、お前はワシの子じゃ。

親縁・近縁・増上縁、切っても切れん親子の仲じゃ。

誰が憎かろう。

お前が救われるんであれば、この弥陀はたとえ火の中、水の中、毒の中。

鬼にもなろう、蛇にもなろう。

どんな苦労も厭いはせんぞ」

とよんでいてくださっています。

そして出来たのが、五劫思惟(ごこうしゆい)の汗水流し、兆載永劫(ちょうさいようごう)の骨身を砕き、弥陀の全財産封じ込めた

「南無阿弥陀仏」

のお六字です。

それをこの私一人に与えて下さる。

その南無阿弥陀仏を頂いたのをご当流では信心と申します。

釈迦弥陀は慈悲の父母。

お釈迦さまというお父さま。

阿弥陀さまというお母さま。

この釈迦弥陀二尊のおかげをもちまして、この心に真実信心を頂き、一日一日歩む道中が、浄土への人生と味合わせて頂きます。