『智慧 自分の弱さと向かい合う勇気』

あなたには、人生の生きる目標というものがありますか。

財産をつくりあげていくこと、地位や名声を得ていくことなど、人には様々な願望の中にその目標があるのではないかと思います。

そして、その願望が満たされた時には本当に幸せで、逆に満たされなかった時には不幸であると考えてしまいがちです。

ですが、本当にそれが正しいことなのでしょうか。

 私たちの人生は、その中でたくさんのいろんなことがあります。

嬉しいことや楽しいことがある一方で、悲しいことや苦しいこともあります。

人は、悲しみや苦しみやといった人生の壁にぶつかった時、どんなに学識や地位があっても、占い・まじない・祈祷といったものに頼ってしまいがちです。

それは、自分が苦悩のどん底にあるのは、決して自分のせいではなく、目には見えない悪魔の働きや霊魂の祟りといった不可解なものが作用していると考えてしまうからです。

そのため、それらをおはらいや祈禱などによってふりはらい、悲しみや苦しみから逃れようと試みるのです。

 そこには、私たち人間の持つ弱さや脆さといったものがうかがわれます。

まさに

「溺れる者は、ワラをも掴む」

といったところでしょうか。

しかし、そういったことによって得た『救い』は、一時は解決し救われたように思えても、所詮一時しのぎでしかなく、実のところ根本的な解決にはなりません。

私たちが直面する様々な問題は、そういったものを信じたり用いたりすることで打開されるものではありません。

真実の

「救い」

とは、たとえ現実がどれほど自分の願いどおりにならなかったとしても、また絶望と悲嘆にくれるような時であっても、その壁を突破・打破し、それを乗り越え、生きる勇気と力を与えてくれるものです。

言い換えると、全ての人々が無条件にして、等しく救われていく教えです。

そのような教えを、親鸞聖人は具体的に『絶えず私たちのために願い、私たちを救おうとして、常にはたらきかけていてくださるはたらきを

「本願力」

という。

私たちは、この阿弥陀仏の

「念仏せよ救う」

という本願念仏の教えを信じ、念仏申す日々の中で必ず仏にならせて頂く身の幸せを喜んで生きていくのだ』教えていて下さいます。

これは、そのまま仏のさとりを極めていく道を進むことになるのだといえます。

 私自身の生き方を振り返ってみますと、毎日を一生懸命生きていたつもりが、実は

「ただただ、死なないための生き方をしていただけ」

といったような気がします。

平成22年度の日本人の平均年齢は、83歳なのだそうです。

どんなに生きながらえたとしても、100年に足らない命がほとんどです。

その命を、ただただ死に怯えながら死を終着とする命をおくるのか。

あるいは、智慧の心をいただきながら、毎日を支えられながら充実した日々をすごしていくのか、どちらが有意義で限りある命をすごせることになるでしょうか。

自分の弱さと向きあいながら、仏の智慧の心とともに、勇気をいただきながら喜びの毎日を過ごしてゆきたいものですね。