役者をしていると、ついつい自己中心的な考え方になりがちですが、年を取るにつれてだんだん
「それじゃいけないな」
と気付き始めました。
自分だけで考えたものは、必ず頭打ちになります。
じゃあどういう発想がいいかというと、エゴを捨てる。
極端かもしれないですが、自分であって自分でなくても役はできるんです。
そういう体験をしたことが過去に何度もありました。
今から24年前、『天と地と』という映画で上杉謙信の役をさせて頂きました。
そのときメガホンを持って監督をされたのが角川春樹さんでした。
さころが、私がどんな演技をしても、角川さんは
「違う」
としか言わない。
時には公衆の面前で罵倒されることもあり、すごくショックを受けました。
今思い出しても震えがくるくらいです。
それが何カ月も続いたある日、あまりにNGを出したためか、全てを出し尽くし、私・榎木孝明がどこかにいってしまったんです。
その状態で撮影された映像を後で見てみると、顔は自分だけど、自分の知っているじゃない。
それはある意味、上杉謙信に完全になりきっている状態でした。
そのとき角川さんが
「オッケー!おれが待っていたのはそれだ」
って言ってくれたんです。
きっと、自分が榎木だということを忘れて、上杉謙信が乗り移ったというと大げさですが、本当になりきっていたのでしょう。
その違いを周りは分からなかったと思います。
普段、そういうことは必要ありませんが、時には自分自身を忘れて冷静になる。
自らの考えを捨て去ることも大事だということを学びました。
要するに、自分の頭の中だけで考えてみることをやめてみるんです。
これを日常生活の中で考えると、
「おれが」
「私が」
という主張から一歩引いて、自分を客観的に見てみると、その感情に入っている自分がよく見えます。
感情で物事を言っているうちは、うまくいかないんですね。
「あ、頭にきている自分がいるな」
って。
それを見たとき、自分の気持ちがすーっとしていく瞬間があります。
これは役作りからヒントを得てはいますけども、日常生活においてもよく感じます。
私はインドを旅するのが好きですが、日本人の団体が
「まあ、貧乏でかわいそう。不潔だわ」
と言うのはよく聞きます。
しかし、これは日本人の自分と比較した考えでしかないですよね。
我々の常識にとらわれたものの見方だと思うんです。
実際は、インドの人にとってベナレスは聖地ですは、死体の流れるガンジス川で沐浴することは神聖なことです。
私は旅をするとき、日本人である前に
「地球人であれ」
と思います。
人種や言葉が違っても、同じ地球というこの広い中に生きているって考えると、普段は伝わらないことも伝わるようになります。
ですから、旅をする前には、日本人である前に地球人なんだと思って旅をしてみてください。
見方が少し変わりますよ。
とても新鮮な答えが返ってくる気がします。