小説 親鸞・乱国篇 第一の声 10月(7)

去りかけるとまた、

「やい、何だわりゃあ?」傀儡師だの、菰僧だのが、立って来そうにしたので、

「へい」吉次は、戻って、

「雨宿りをしていた旅人でございます」

「旅(たび)鴉(がらす)か」

「やみましたから、出かけたいと思いますが、日野の里へは、まだ、だいぶございましょうか」

「日野なら、近いが、日野のどこへ行くのだ」

「藤原(ふじわら)有(のあり)範(のり)様のお館まで、はい、使いに参りますので」

「あ、あのお慈悲深い吉光御前様のお住まいだよ」頓狂な声を出して、女のお菰が立った。

すると、浮浪たちも、にわかに丁寧になって、

「吉光御前様のところへ行かっしゃるなら、誰か、案内してあげやい」

「おらが行こう」竹の棒を持った河童みたいな小僧が、吉次の側へ寄ってきて、

「旅人、案内しよう」

「すまないな」

「なあに、吉光御前様には、おらたち、どれほど救われているかしれないのだ。

あのお館は、そういっちゃ悪いが、落魄れ藤家(とうけ)の、貧乏公家で、ご全盛の平家と違い、築地の崩れも繕えぬくらいだが、それでいて、俺たちが、お台所へ物乞いに行っても、嫌な顔をなされたことはない…」

一人がいうと、女のお菰も、

「冬が来れば、寒かろうとて、わしらばかりでなく、東寺や、八坂の床下に棲む子らにまで、古いお着物は恵んで下さるしの」口をそろえて、その他の浮浪たちもいうのであった。

「化粧(けわい)に浮身をやつすおしゃれ女や、身の安楽ばかり考えている欲ばり女は、お館という厳めしい築地の中にうんといるが、あんなやさしい女性(にょしょう)が、今の世のどこにいるかよ。

――あのお方こそ、ほんとうの観世音菩薩というものだろう」

「そういえば、如意輪観世音がご信仰で、月ごとに、ご参詣に見えておいでだが、この春ごろからお姿を見たことがない。

――もしやお病(いた)褥(つき)ではないかと、わしらは、案じているのじゃ」

鶏の骨をねぶりながら、女のお菰は、そういって、山門の外まで、送ってくる。

吉次は、心のうちで、うれしかった。

その吉光御前というお方こそ、自分が主命をうけて、機会さえあれば世に出そうと苦心している鞍馬の稚児遮那王の従姉にあたる人なのであった。

「水たまりがあるぜ、おじさん」河童は、竹の棒で、真っ暗な地をたたいて、先に歩いていく。

鼻をつままれてもわからない小路の闇に、野良犬が、吠えぬいている。

犬すら、飢えているように、しゃがれた声に聞こえた。

小川がある、土橋を越える。

やや広い草原をよぎると、河童は、竹の先っぽで、

「あそこに大銀杏(おおいちょう)が見えるだろう」と、指していった。

「……あの銀杏のそばの土塀が、正親町様だよ。

藤原有範様のお館は、あそこを曲がると、すぐさ」

「や、ありがと」道をすすんで、二人は目じるしの大銀杏を横に曲がりかけた。

すると河童は、何かに、驚いたように、

「おやっ?」と、立ちすくんでしまった。