「また、空が赤い」
「どこぞのお館へ、盗賊が押しこんだのではないか」
往来へ出て、町の者は、首を空に上げて見ていた。
戦いに次ぐ恐怖は、強盗だった。
こそこそと出没するのではない。
十人、二十人、多い時には五十人も手下をつれて、どこへでも堂々と押しこむのであった。
少し、きかない家来などがいると、忠義だてして闘(あらそ)うので、邸宅(やしき)はたちまち火を放(つ)けられて焼かれてしまう。
「貧乏人には、盗賊の心配だけはない」
町の人々は、赤い空をながめて、せめての慰めのように、つぶやき合った。
その往来を、向う見ずに、駈けて行った男がある。
介であった。
「待てっ」
と、京極の辻でさけんだ。
先へ走ってゆく影も、これまた、おそろしく迅(はし)っ来い。
ちらと、近くで見たところでは、それは、河原や枯れ野などによく寝ている物乞いか、菰僧(こもそう)の類であるらしかった。
初めは、てっきり、成田の郎党と見て追いかけてきた介は、いよいよ、狼狽した。
十八公麿さまを誘拐(かどわ)かして、遠国へでも売ろうとする野盜か人買いにちがいあるまい、と今度は考えた。
「待てッ、待てッ」
叫べば、叫ぶほど、先の男は、背中に十八公麿を負っているにかかわらず魔のように迅くなる。
そして、どう抜けてきたか、六条のお牛場へと駈けこんだ。
「おおここだ」
男は、築地(ついじ)を見上げて、佇(たたず)んだ。
そして裏門をどんどんと叩く。
誰か、開けた。
開けると同時に、男は、背に負ってきた十八公麿を、抛(ほう)りこむように、門の中へ渡して、さっさと、元の道へ、引っ回(かえ)した。
「この乞食めっ、和子さまを、どこへやった」
いきなり組みついてきたのは介である。
「あっ」
よろめいたが、男は、何もいわなかった。
身をねじって、介の体を、勢よく振りとばした。
介は、男の足をつかんだ。
男は前へのめって転んだ。
得たりと、介はのしかかって、拳固で、ぽかぽかと撲りつけた。
初めの勢いは、どこへやら、菰僧ていの男は、両手で顔をおおって、痛いとも叫ばなかった。
介は、腹が癒えないように、なおも、打って打って、打ちすえた。
すると、築地のそばから走って来た十八公麿が、それを見ると、わっと大声で泣いた。
滅多に、泣いたことなどない十八公麿が、しかも、異様な感情をあらわして泣いたので、介は、びっくりした。
「和子様、こいつは、野盗か、人買いか、悪党です。なぜお泣きなさるのです」
十八公麿は、そういって、肩で息をしている介を、うらめしげに見ていった。
「その人を、わしは覚えている、悪党ではない」
「えっ、和子様の知っている人ですって」
「館のお厩(うまや)に、縛られていたことがある……。
そうそう、もと成田兵衛の家来であった庄司七郎というのじゃ」
「げっ」
介は意外な顔をして。
「あの寿童丸に付いていた成田兵衛の家人、庄司七郎が、その男ですか」
振りかえって、見直すと、菰僧は両手で顔をかくしたまま、不意に起って、恥ずかしそうに逃げてしまった。