2013年4月19日
雨あがりの大路の黒い土は、胡粉(ごふん)をこぼしたように白い斑(ふ)で描かれている。
キリ、キリ、さびしい轍(わだち)の音が、粟田口(あわたぐち)あたりの閑寂(かんじゃく)な土塀や竹垣、生垣の桜花(はな)の下蔭を通ってゆく――
「ああ」
牛と並んで歩きながら、侍従介は、鼻さきの涙を指さきで、そっと拭いた。
「――昼間だが、なんとなく、夜を歩いているような気がするなあ」
独り語につぶやいたのを、
「そのはずじゃ」
と、牛飼が、答えた。
「――なんとこの正月は正月も早々からじゃて。
さきには、高倉上皇さまがおかくれあそばされたと思うと、――つづいて去年から大熱をわずろうていた平相国清盛公が、忽然と、あの世へ去っておしまいなされた……。
それでのうても、お館さまや、和子さまには、吉光御前さまをお亡くしなされて、さびしい年を越えられたのじゃものなあ」
「空虚(うつろ)な……とは、今のご主人さまや、俺たちの心だ」
「ひっそりとして、蝶も舞わぬ。
堂上堂下、悲しみに沈んでいるこの春の御領闇(ごりょうあん)に、虫けらまでも、さびしさが、わかるとみえます」
「夜だ、どうしても、昼間とは思えない――」
介は、道を曲がる。
その道もまた、しいんと、冷やかで、人影がなかった。
明けて――十八公麿が九歳になった春の三月中旬のことだった。
牛車のうちには、墨のごとく、沈んだ人影が見える。
養父範綱の膝にだかれた十八公麿であった。
母をうしなってからの十八公麿はさらにちがってきた。
面ざしすらにわかに吉光の前に似かようてきたかに見えて端麗を加えたのも変り方の一つであったし、さらに、範綱さえ、介さえ、ときどき、驚かされることは、彼の眸であった。
黒く、飽くまで黒く、そして湖のごとく澄んでいる眼であった。
星を見――雲を見――風を仰ぎ――そして地上の人間が描く修羅遊戯の種々(さまざま)な事象に、じっと、いつも、不審をだいて考えこんでいるような彼の双眸であった。
久しく、書を教えていた叔父の宗業は、はやくも、筆を投げて、
「もう十八公麿には、あまり教えぬほうがいい」
と、いったほどである。
「怖い才だ」
といった人もあった。
また、
「こういう麒麟児(きりんじ)は悪うすると若死をしますでな」
と注意した老人もある。
どっちにせよ、不安であった。
周囲の大人たちは、ちょと、戯れかねた。
まだ稚(おさな)い九歳の子ではあるが、軽く不安を抱いて、置き換えられないような巨吉舎というか、気品というか、威という、そんな気持をうけた。
しかしさすがに、範綱だけにはよく、甘えるし、範綱も、人がいうほどにも思っていなかった。
ただ、なぜか、
「容貌(かお)は、母御前に似よ。血は父に似よ」
と、口ぐせにいった。
母系の源氏の血が、この子にうずくことを彼は極度に、怖ろしく思った。
それでなくとも、平家の眼は、近ごろ急に、十八公麿の母系と、十八公麿の身について、警戒を怠らないのみか、何か、あわやという機会さえあれば、虎狼(ころう)の爪が、跳びかかってきそうに思えてならないのである。
※「胡粉」=貝殻を焼いて粉にした白い顔料。絵の具、塗料用。