『にげる私を追いかけてついてはなれぬ御仏(おや)がいる』(中期)

一般に、私たちが宗教的な救いを求めようとするのは、大きな悩みや苦しみを抱えて自分の力ではどうにもならなくなり、その苦悩を神仏の力によって解決しようとする時です。

その場合、一心に拝んだり、何らかの行に励むことが求められたりします。

ところが、阿弥陀如来という仏さまは、私に何の条件をつけることなく、しかも私が願うに先立って、私を願い、私に

「まかせよ、必ず救う!」

とよびかけていてくださいます。

親鸞聖人は、この阿弥陀如来のこころを

「摂取不捨の救い」

と説いておられます。

そして、そのこころを

「摂はものの逃ぐるを追はへ取るなり、摂はをさめとる、取は迎へとる」

と記しておられます。

「ものの逃ぐるを」の

「もの」とは

「衆生」

つまり生きとし生けるもののことで、

「阿弥陀如来という仏さまは、逃げてゆくものをおいかけて、迎えとってくださる仏さまである」

と述べておられる訳です。

ところで、浄土真宗では昔から説法の中で、阿弥陀如来のことをしばしば

「おやさま」

という言葉で言い表してきました。

その際

『「親」という文字は、

「木」+「立」+「見」

から成り立っていることから分かるように、木の上に立って(子どもを)見ている姿に由来している』

と説明される方もいらっしゃいます。

話としては大変味わい深いのですが、実はこの説明の仕方は間違いです。

「親」という字に

「立(りつ)」は含まれていません。

「親」という字は、右旁の

「見」が文字の意味を示し、左旁の[辛+木]は

「シン」

という字音を表す発音記号です。

したがって、もともとの意味は

「対象に近付いて見る」です。

そこから

「近付く」「近い」

さらに

「親しむ」「親しい」

という意味になり、さらに

「他人に任せず、自分で対象に近付いて処理する」

ということから

「みずから」

という意味に使われるようになりました。

「あて名の人自身が開封し読んでほしいことを示す脇付け」

である「親展」の

「親」はこの意味です。

また、自分に

「近い」

ものは親類であることから、親類のことを

「親(しん)」

と言うようになり、やがて

「父親」「母親」

をという使い方が生じました。

これらの経緯から窺うと、

「親」

という文字が出来たときには

「おや」

という意味はなかったのですから、当然

「木の上に立って…」

という説明には、無理があると言わざるを得ません。

さて、ではなぜ浄土真宗では阿弥陀如来のことを

「おやさま」とか

「真実のおや」

などと言うのでしょうか。

それは

「おや」とは

「いつも子どもから目を離すことなく心を寄せている存在」

だからです。

「親」という文字が

「木の上に立って…」

と説かれることになったのも、文字の成り立ちよりも先に子どもを見守るという親の本質があり、たまたまそのこととが文字を一見したとき、まさにそのことを物語っているように思われたからかもしれません。

そして、そのことが人々に共感を持って受け入れられたからこそ、

「木の上に…」

ということが文字の成り立ちとして語り継がれてきたように推し量られます。

「子をもって知る親の恩」

という言葉があります。

子どものときには

「親の恩や有り難さを知れ」

と言われても、なかなかそのことを実感することはできないものです。

ところが、いざ自分が親になり、しかも子どもが夜中に熱を出したとか、けがをしたとか、嬉しいことよりもむしろ困ったり悩んだりしたときに、ふと

「ああ、自分もこんなふうに親に心配をかけていたんだな」

ということを子どもに教えられるものです。

振り返ってみますと、日頃私たちは自分勝手なことばかりをあれこれ願い、なかなか仏さまの教えに耳を傾けようとしないばかりか、願うに先立って自身が願われていることにさえ気付き得ないでいます。

それはまるで、仏さまの願い、よびかけから逃げ回っているかのようなありさまです。

そのような私を決して見捨てることなく、私の称える

「南無阿弥陀仏」

の声にまでなって呼びかけてくださる事実を、親鸞聖人は

「逃ぐるを追はへ取る」

という実感を持って述べられたように思われます。