あきらめて、二人はまた、もとの五条口の方へ引っ返した。
そして五条大橋を、こんどは東の方へと渡って行く姿に、もう黄昏(たそが)れの霧が白く流れていた。
粟田口の青蓮院についたころは、すでにとっぷりと暮れた宵の闇だった。
ここばかりは、兵燹(へいせん)の禍(わざわ)いもうけず、世俗の変遷にも塗られず、昔ながらに、寂(せき)としていたので二人は、
(やはり法門こそ自分たちの安住の地だ)という心地がした。
かたく閉じられてある門の外に立って、性善房は、
「おたのみ申す」
と、ほとほと叩いた。
範宴は、うしろに立って、錆びた山門の屋根だの、楼(ろう)の様だの、そこから枝をのばしている松の木ぶりだの眺めて、
「十年……」
なつかしげに眼を閉じて、十年前の、自分の幼い姿を瞼(まぶた)に描いていた。
ぎいと、小門が開いて、
「どなたじゃの」
番僧の声がした。
「無動寺の範宴にござりますが、このたび、奈良の法隆寺への遊学のため、下山いたしましたので、僧正の君に、よそながらお目にかかって参りとう存じて、夜中(やちゅう)ですが、立ち寄りました。お取次ぎをねがわしゅう存じまする」
「お待ちください」
しばらくすると、番僧がふたたび顔をだして、
「どうぞ」
と、先に立って案内した。
慈円僧正は、その後、座主の任を辞して、叡山からまたもとの青蓮院へもどって、いたって心やすい私生活のうちに、茶だの和歌だのに毎日を楽しんでくらしているのだった。
清楚な小屋に、二人を迎えて、慈円は、心からよろこんだ。
「大きゅうなったのう」
まず、そういうのだった。
得度をうけた時の小さい稚子僧の時のすがたと、十九歳の今の範宴とを思い比べれば、まったく、そういう声が出るのだった。
しかし、四、五年見ない慈円のすがたは、まだ初老というほどでもないが、かなり老けていた。
「僧正にも、お変りなく」
範宴がいうと、
「されば、花鳥風月と仏の道におく身には、年齢(とし)はないからの」
と若々しく慈円は微笑した。
そして、
「このたびは、法隆寺へ修学のよしじゃが、あまり励(つと)めて、からだを、そこねるなよ」
「覚運僧都について、疑義を、御垂示うけたいと存じて参りました。からだは、このとおり健固にございますゆえ、どうぞ、御安心くださいまし」
後ろの小縁にひかえていた性善房が、そのとき、畏る畏るたずねた。
「ついては、この折に、御養父の範綱様や、また御舎弟の朝麿様にも、十年ぶりでお会いなされてはと、私からおすすめ申しあげて、実は、これへ参る先に、六条のお館をさがしました所が、まるで町の様子は変って、お行き先も知れません。で、――青蓮院でおうかがいいたせば分るであろうと、戻って参ったわけでございますが、範綱様にはその後、どこにお住まいでございましょうか」
「その儀なれば、心配はせぬがよい。かねて、約束したとおり、変りがあれば当所から知らせるし、知らせがないうちは、お変りないものと思うていよ――とわしが申したとおりに」