親鸞・去来篇 川霧 9月(8)

「はい、どなた?」

若い男の返辞だった。

すぐ家の中から板戸を開けて、そこに立っていた者が、二人の僧であったのに意外な顔をしたが、さらに、性善房の手から逃げようともがいている女の姿を見ると、

「この阿女(あま)」

と、裸足で飛び出してきて、女の黒髪をつかんだ。

「どこへ行っていやがったので。――おや、ずぶ濡れになって、また、馬鹿なまねをしやがったな」

あまり無造作に家の中へ引き摺り上げてしまったので、範宴は、

「もしっ、そんな乱暴はせずにいて下さい」

共に、家のうちへ入ったが、もうその時は、女のほうが、俄然、血相を烈しくして、

「何をするんだッ、そんなに、私が憎いかっ。殺せ」

「気ちがいめ」

「さ、殺せ」

いいつつ、男の胸ぐらへつかみかかって、

「そのかわりに、私一人じゃ死なないぞ。この浮気男め、白状者め。口惜しいっ」

範宴も、これには手を下しかねた顔つきで、眺めていた。

しかし、抛(ほ)っとけば限(き)りもないので、

「止めてやれ」

と、性善房にいうと、

「こらっ」

彼は、まず男のほうを隔て、

「やめぬか、まさか、仇同士でもあるまい」

「仇より憎い」

と女はさけんだ、

それからは油紙に火がついたように、男のざんそを人前もなく喋(しゃ)舌(べ)り立てて、男が自分を虐待して、ほかで馴染んだ売女(ばいじょ)をひき入れようとしていることだの、この家が貧乏なために、自分が持ち物を売りつくして貢いだのと、あらゆる醜悪な感情をおよそ舌のつづく限り早口でいった。

さすがに、間がわるくなったと見えて、烏帽子の男は、青白い顔をして、うつ向いていた。

そして今になってから、気がついたように、範宴へ、

「どうも相すみません」と、いった。

「あなたの内儀ですか」

と性善房が口を入れた。

「いいえ、でき合って、ずるずるに暮らしている萱乃(かやの)という女です。けれど、萱乃のいうような、そんな、私は悪い男じゃないつもりです」

「仲を直してはどうじゃ」

「私は、可愛くって、しかたがないくらいなんだが、ご覧のとおりな……」

女は、眸(め)から針を放って、

「嘘をおつきッ」