女がさらに血相を持ち直して、甲だかく猛(たけ)りかかると、その時、門(かど)の戸を開けて、
「娘、われはまた、ここへ来ていくさるのか」
誰やら、老人らしい声がした。
その声を聞くと、萱乃は、びくりとして、
「あっ、お父さん」
水を浴びたように、今までの狂態を醒(さ)まし、にわかに、穴へでも入りたいように、居竦(いすく)んでしまう。
烏帽子の国助も面目なげにうろうろとしていた。
するともう案内もなく上がって来た萱乃の父なる人は、厳(いか)つい顔を硬(こわ)ばらしてそこに突っ立ちながら、若い男女を見下して、さも忌々(いまいま)しげに、
「恥さらしめっ」
と、唾でも吐きかけたいように睨(ね)めつけた。
宇治の郷士でもあろうか、粗末な野太刀を佩(は)いた老人だった。
「さ、家へこい、家へ帰れ。こんな怠け者の職人と、痴話狂いをさせようとて、おやは、子を育てはせぬぞ。
不届き者め」
萱乃の襟がみをつかんで、叱りながら、引っ立てると、
「嫌です、嫌です」
娘は、筵(むしろ)へしがみ伏して、
「――家へは帰りません」
と必死でいった。
「なぜ帰らない」
「でも私は、国助さんと、どんな苦労でもしたいのです」
「親の許さぬ男に?」
「かんにんして下さい」
「ならぬっ」
と老人は一喝(いっかつ)して、
「こんな男に見込みはない。親のゆるさぬ男の家へ入りこんで、仲よくでも暮らしていることか、町の衆が、笑っている。嫌ならよし、親の威光でも、しょッ引いて行かねばならぬ」
憤怒(ふんぬ)して、老人は、娘の体を二、三尺ずるずると門の方へ引きずり出した。
皺(しわ)の深い唇(くち)のまわりに、ばらっと、針のような無精髭の伸びている老人の顔と、物言い振りを、それまでじっと傍観していた性善房は、その時初めて口を開いて、
「待て、――おぬしは、六条のお館に奉公していた箭四郎じゃないか」
といった。
「げっ?」
老人は開いた口をしばらくそのまま、
「…………」
小皺の中の眼をこらして、いつまでもいつまでも性善房の顔を見つめ、一転して、その側にきちんと坐っている範宴の姿を見て、
「や、や、や……」
萱乃の襟がみから手を離して、そこへ、べたっと坐ってしまった。
「お――。……おぬしは元の侍従介?」
「介じゃよ」
「では、これにお在(わ)すのは……」
「わからぬか、あまりご成長あそばしたので、見違うたも無理じゃない。日野の和子さま……十八公麿様じゃ」
「あっ、何としよう」
箭四老人は、両手をつき、額を筵につけたまましばらくは面を上げようとしない。