朝麿は、見ちがえるほど恢復(かいふく)して、病床(とこ)を離れていた。
兄と、性善房とが、旅装(たびよそお)いをして、ふいに訪ねてきたので、彼は梢とともに、驚きの眼をみはって、
「どこへお旅立ちですか」と、もう淋しげな顔をした。
性善房が、
「いや、お師様には、もはや華厳をご卒業あそばしたので、南都にとどまることはないと、法隆寺の僧都様からゆるしが出たために、お別れを告げてきたのです」と話すと、
朝麿は、
「では、叡山へ、お帰りですか」と、なお心細げにいうのであった。
「されば……帰ろうと思う」範宴はそういって、
「ついては、おもとも京都へ共に帰らぬか」
「…………」
「わしが一緒に行ってあげよう。そして、ともどもに、養父(ちち)上(うえ)へお詫びをするが子の道ではないか」
「兄上。ご心配をかけて、なんともおそれ入りまする。けれど、今さら養父の家へは帰れません」
「なぜ」
「……お察しくださいまし……どの顔をさげて」
「そのために、兄がついて行くではないか。何事も、まかせておきなさい」
そばで聞いていた梢は、不安な顔をして、朝麿がそこを立つと、寝小屋の裏へ連れて行って、
「あなたは帰る気ですか」と男を責めていた。
「――わたしは嫌です。死んだって嫌ですよ。あなたの兄様は、きっと、お父さんのいいつけをうけて、私たちを、うまく京都へ連れ帰ってこいといわれているに違いありません」
女には、いわれるし、兄には叛(そむ)けない気がして、朝麿は、板ばさみになって当惑そう俯(う)つ向いていた。
すると、性善房が様子を見にきて、
「梢どの、それは、あなたの邪推です。お師様には、決して、お二人の心を無視して、ただ生木を裂くようなことをなさろうというのではなく、あなたの父上にも、朝麿様の養父君にも、子としての道へもどって、罪は詫び、希望(のぞみ)は、おすがり申そうというお考えなのです」
諄々(じゅんじゅん)と、説いて聞かせると、梢もやっと得心したので、にわかに、京へ立つことになった。
ところで、このあいだ宿の借財をたて替えてくれた親切な相客の浪人にも一言、礼をのべて行きたいがと、隣の寝小屋をさしのぞくと、誰も人気(ひとけ)はない。
亭主にきくと、
「はい、今朝ほどはやく、お立ちになりました。皆さまへ、よろしくといい残して――」
「や。もうお立ちになったのか。……今日は、改めてお礼を申し上げようと思うていたのに……。済まぬことであった」
範宴は、胸に借物でも残されたように、自分の怠りが悔いられた。