阿弥陀さまの照らしてくださる光

急に寒くなってきたと思ったら、陽が暮れるのも早くなってきましたね〜。

あたりを見てみるとクリスマスのイルミネーションが大変キレイに飾られています。

光は今の私たちにとってかかすことのできないものとなっています。

皆さんは、もし光がないところ(真っ暗なところ)を歩くときには、いったいどこを見ながら歩かれるでしょうか?

もし家が停電になったら、まず光をさがそうとして壁とかに手が触れたりしませんか?

おそらくそれは自然なことだと思います。

だったら今度は何もない外を歩くときにはどうでしょうか?

Q.触れることのできない場所ではいったいどこを見ながら歩くのか…?

?前を見ながら歩く

?左右を見ながら歩く

?足下を見ながら歩く

A. ?(多くの人は、足下を見ながら歩くそうです)

何で答えが?なのか、皆さんはこんな経験はありませんでしょうか?

・タンスで足の小指をぶつけてしまった。

・ドアで足をぶつけてしまった。

・子どものおもちゃを踏んでしまった。

・画びょうを踏んでしまった。

・階段でつまずいたことがある。

等々

そうすると、自分が痛い思い・辛い思いをしたくないから、暗いところでは足下ばかりをみてしまうのだそうです。

私たちの心の中には煩悩というものがあります。

自分中心に物事を考え、言葉を言ったり行動してしまったりなど。

まさに色で例えるなら真っ黒ですね。

つまり、真っ暗な煩悩の世界にいる私たちは自分のこと(足下)ばかりを見てしまって、前を見ることがなかなかできないのではないでしょうか。

しかし、阿弥陀さまは煩悩の世界にいる私たちを常に照らしてくださっています。

たしかに暗いところで前を向くのは怖いかもしれませんが、そんな私たちを摂取不捨のお心で今も見ていてくださるのです。

今はまだ阿弥陀さまの照らしてくださる光に気づけないかもしれませんが、いつか気づかせてもらえるご縁に遇いたいですね。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。