親鸞・去来篇1月(10)

その日の範宴の講義は、あくまで範宴自身の苦悩から生れた独自の新解釈の信念に基づいたものであって、従来の型にばかり囚(とら)われた仏法のための仏法であったり、学問のための学問であったりするものとは、大いに趣(おもむき)が変っていた。

従って、今までの碩学(せきがく)や大徳の説いた教えに養われてきた人々には、耳馴れない範宴の講義が、いちいち異端者の声のように聞えてならなかったし、新しい学説を取って、若い範宴の衒学(げんがく)だと思う者が多かった。

「ふふん……」

という態度なのである。

中には明らかに反感を示して、

「若いものが、すこし遊学でもしてくると、あれだから困るのじゃよ」

と、嘲(あざ)むようにいう長老もあった。

ただ、終始、熱心に聞いていたのは、権(ごん)智房(ちぼう)ひとりであった。

権智房は、青(しょう)蓮院(れんいん)の慈円僧正から、きょうの講義の首尾を案じて、麓(ふもと)からわざわざ様子を見によこした僧である。

それと、もうひとり、どこの房に僧籍をおいているのかわからないが、おそろしい武骨な逞しい体躯を持った法師が、最も前の方に坐りこんで、睨むような眼(まな)ざしで、範宴の講義が終るまで身うごきもせずに聞き入っていたのが目立っていた。

長い日も暮れて、禿(かむろ)谷(だに)の講堂にも霧のようなものが流れこんできた。

講堂の三方から壁のように見える山の襞(ひだ)には、たそがれの陰影が紫ばんで陽は舂(うすず)きかけている。

範宴は、およそ半日にわたる講義を閉じて、

「短い一日では、到底、小止観の真髄(しんずい)まで、お話はできかねる。きょうは、法(ほう)筵(えん)を閉じて、また明日(あす)、究めたいと思います」

礼をして、壇を下りた。

大勢のなかには、彼の新しい解義に共鳴したものも何人かあったとみえて、

「範宴御房!夜に入っても苦しゅうない。ねがわくは、小止観の結論まで、講じていただきたいが」

という者もあるし、また、

「きょうのお説は、われらが今まで聴聞(ちょうもん)いたしてきた先覚の解釈とは、はなはだ異なっている。われわれ後輩のものは、従来の説を信じていいか、御房の学説に拠(よ)っていいか、迷わざるを得ません」

と訴える人々もあるし、

「学問には、長老や先覚にも、遠慮はいらぬはずだ。どうか、もっと話してもらいたい。堂衆たち!明りを点(つ)けろ」

立ちわさぐものもあったが、範宴は、もう席を去って、いかにもつかれたような面もちを、夕方の山影に向けながら、縁に立って、呼吸をしていた。

すると、そこへもまた、若い学徒がすぐ行って、彼を取り巻きながら、

「きょうのご講義のうちに、ちと腑(ふ)に落ちない所があるのですが」

とか、

「あすこのおことばは、いかなる意味か、とくともう一度、ご説明をねがいたい」

とかいって、容易に、彼を離さなかった。

席をあらためて、範宴は、その人々の質疑へ、いちいち流れるような回答をあたえていたが、そのうちに、互いの顔が見えないほど、講堂のうちはとっぷりと暮れてしまった。