「泣き笑いガン日記」(上旬)病気になっても病人になったらあかん

ご講師:笑福亭小松さん(落語家)

人間大事なものはたくさんあります。

でも基本となる一番大事なもんな「健康」ですね。

健康のためやったら死んでもええなと思います。

今から四年前の話になりますが、初めて病院へ行きました時に、二、三日の検査入院やと思いましたので、案内される看護婦さんにそのままついて行きましたら、案内されたのが四人部屋なんですね。

私のベッドは夏は暑い、冬は寒いという感じの、ドアに一番近い所で、私は入院経験が無かったんでわがままいっぱい言いました。

「看護婦さん、僕向う側のベッドがええけどなあ」って言いましたら、そのベッドまで出世しようと思ったら相当な入院のキャリアがいるそうでして、いっぺんに向こうにいけないんです。

配置替えができるチャンスというのは、だれかひとりが死ぬか、退院するかしかないわけなんです。

パジャマに着替えて、この病院どないなってんのかなとウロウロ行きましたら、私の顔を見るなりおじさんが声掛けてくれはるんです。

「おっ、にいちゃん、見慣れん顔やな。入院か」

「そうですねん、今日から入院ですねん」

「そうか、入院か。仲間入れたるからこっちおいで。にいちゃん、入院したさかい言うてな、病室で閉じこもってたら病気になるで」

とか言うてね。

続いてそのオッチャンが言いはるんです。

「にいちゃん、タバコ吸うのやろ、吸いや」

「いやあきまへんねん。医者にとめられてますねん」

「俺が許可したるがな、吸い吸い。そんなもんお前タバコやめたらほんまに病気になんど。かまへんねん吸うたらええねん」

てタバコくれはるんです。

それで吸い始めたら、目をだんだんと輝かしながら私の顔見て、

「にいちゃん、どこが悪いねん」

「医者にね、胃かいようや言われてますねん」

「胃か、心配ない。そんなもんビクビクせんでもええ。胃なんかなあ、切ったかてまた生えてくるわ」

「胃は大丈夫ですか」

「大丈夫やがな、そんなもん」

「で、オッチャンはどこが悪いんですか」

と聞きましたら、聞いた私が悪かった。

実は、このオッチャンの生きがいというのは病気自慢やそうで、まあ病気自慢が始まったら二時間半、もうへたな講釈師につかまったようなもんで、

「まあ聞き、にいちゃん、俺はなあ」

って起ち上がりはって、

「胃はとうの昔に切ったんねん。三分の一残すとかそんなちゃちな手術と違うぞ。根こそぎいっとんねん。胃やろ、ひ臓やろ、すい臓やろ、今度は肝臓やで。肝臓いうたらどない思てるか知らんけど、生きるか死ぬかひとつしかないのが肝臓やど。にいちゃん、甲斐あったら俺くらい病気してみい」

「オッチャン年いくつですか」

「俺かい、七十三や。三千世界捜して、俺くらいの病気で俺ほどの達者なやつがおったら連れてこい」

「オッチャン、どないしたらそない元気でいられまんねん」

「にいちゃん、おまはんにしても俺にしても、運悪う病気にはなったけど、病人になったらあかんで」。

なるほど、病気にはなったけど病人になったらあかんでというこのオッチャンの言葉、さすが人生を達観した人の言葉というのは重みがある。

ところがこのオッチャン、毎日同じ話、しはるんです。