四郎の命をうけて、蜘蛛太の小さい影が、五条口のほうへ駈けてゆくと、いつのまにか他の手下たちも、両側の並木の闇へ、吸われるように隠れ込んでしまう。
一人――四郎だけが辻に立っていた。
火事の煙がうすらぐと共に、世間の騒音も鎮(しず)まって、おぼろな月明りが更(ふ)けた夜をいちめんの雲母(きらら)光りにぼかしていた。
やがて――そう間もないうちに――五条口から西(にしの)洞院(とういん)の大路を、キリ、キリ、とかすかな軌(わだち)の音が濡れた大地を静かにきしんでくる。
(来たな)
と、四郎は知るもののごとく知らないもののごとく、依然として、腕ぐみをしたまま辻に突っ立っていると、たしかに、彼がさっき、朱(す)雀(じゃく)のあたりで火事のやむのを待っている雑鬧(ざっとう)の中で見とどけた一輛(いちりょう)の蒔絵(まきえ)輦(ぐるま)が、十人ほどの家の子の打ちふる松明(たいまつ)に守られながら、大路の辻を西へ曲りかけた。
すると、そこに、天城四郎が石仏のように、腕ぐみをしながら立っているので、
「しッ!」牛飼が、声をかけた。
それでも動かないので、輦(くるま)のわきにいた公(く)卿(げ)侍(ざむらい)が、
「退(の)かぬかっ」
叱りつけると、四郎は、初めて気づいたように顔をふり向け、赤々と顔をいぶす松明に眼をしかめながら、
「あ、ご無礼いたしました」
「かように広い道を、しかも、人も通らぬに、何で邪魔な所に立っているか、うつけた男じゃ」
「実は、手前はこよい関東の方から、初めて京へ参ったばかりの田舎(いなか)侍(ざむらい)で、道にまようて、ぼんやりと、考えていたもんですから」
「退(の)け退け」
「はい、退きますが、少々ものをおうかがいいたす」
と四郎は初めて、二、三歩身をうごかして、ひとりの公卿侍のそばへ寄って頭(かしら)を下げ、
「鳥羽へ参るには、どの道をどう参ったらよいでござろうか」
何気なく方角を指さして教えていると、四郎は、その侍が胸に革(かわ)紐(ひも)でかけている小(こ)筥(ばこ)をいきなりムズとつかんで、奪(と)りあげた。
「あっ、何をする!」
と叫んだ時は、すでに彼の影は輦(くるま)から九尺も跳(と)んでこっちを見ながら、
「欲しくば、奪(と)り回(かえ)せ」
と、筥(はこ)をさしあげて見せびらかした。
共の家の子たちは仰天して、
「おのれ、それには、今日の御所の御宴(ぎょえん)で、姫君がさるお方からいただいた伽羅(きゃら)の銘木(めいぼく)が入っているのじゃ、下人などが手にふれたら、罰があたるぞ、返やせ、返やせ!」
「はははは、ちっとも、罰があたらないからふしぎだ」
「おのれっ」
松明(たいまつ)が飛ぶ――
ぱっと火の粉を浴びながら四郎は駈けだした。
口笛をふきつつ駈けだした。
悪智の計ることとは知らずに、輦(くるま)をすてて、侍たちは彼一人を追いまわして行った。