鷺(さぎ)のように風に吹かれて佇(たたず)んでいる二人の女性(にょしょう)があった。
雲母(きらら)坂(ざか)の登り口なのである。
ここから先は女人(にょにん)の足を一歩もゆるさない浄地の結界(けっかい)とされているのだ。
先年杉の鬱蒼(うっそう)とつつんでいる登(とう)岳(がく)道(どう)も、白々と夜明けの光に濡れていた。
「姫(ひい)さま、お寒くはございませぬか」
自分のかぶっている被(かず)衣(き)を一方の女性(にょしょう)へ羽織ってやろうとする。
これを拒(こば)んでいるのは上臈(じょうろう)笠(がさ)に顔をかくしている姫と呼ばれた人であった。
年ばえもうら若いし、足もとや体つきまでがいかにもこんな所のあらい風には馴れぬらしい嫋(なよや)かな姿なのである。
「いいえ」と微かにいう。
「そなたも、寒かろうに」
「なんの私などは」どこの女性(にょしょう)でどういう身分の者なのであろうか。
今ごろ、まだ夜も白みかけたばかりなのに、里から登ってきたとは思われぬし、なおのこと、上から降りてきたのではあるまい。
思うにこの若い二人はゆうべすぐそこの赤山明神(みょうじん)の拝殿にでも一夜の雨露をしのいだに相違ない。
四(し)明(めい)ヶ岳(だけ)の壁にはまだ残雪の襞(ひだ)が白く描かれているが、この辺りではもう寒いというには足らない春のことである、その証拠にはあちらこちらの沢や谷で鶯(うぐいす)の啼(なき)声(ごえ)がしぬいている。
二人の肌に限ってそう寒いのは夜もすがら戸も立てぬ拝殿の縁の端で山風にさらされていたためにちがいない。
それにしても誰を待つのか、麓からここへかかる人を待ちうけているものらしく、一方の召使らしい女は絶えず眼をくばったり、うち悄(しお)えた姫を励ましたり、その気づかいというものは並たいていな侍女(こしもと)のよくすることではなかった。
「あっ……姫(ひい)さま」麓の方を眺めていたその女が、突然、こう大(おお)袈裟(げさ)なくらいにいったのは、待ちかねていたその人の影がやがて認められてきたのであろう、ばたばたと姫のそばへ走り戻って、
「ごらんあそばせ、たしかに、あのお方でございまする」袂(たもと)をひいて、指さすのであったが、そう聞くと姫はにわかに自分を省(かえり)みて、無表情なうちにもありありと狼狽のいろを示して、
「人違いではありませんか」というと一方の女は、
「いいえ、なんでこの私が」と、自信をこめていう。
間もなく低いうねり道を回(めぐ)って来るその人なる者の姿が見えた。
なにか一念に誦(ず)経(きょう)の低声を口に含(ふく)んでわき眼もふらずに登ってくるのだった。
近づいてみれば風雨によごれた古笠に古法衣(ごろも)を身に纏(まと)ったきりの範宴少(しょう)僧都(そうず)だった。
聖光院門跡(もんぜき)の栄位と、あらゆる一身につきまとうものを、この暁(あけ)方(がた)かぎり山下(さんか)に振りすてて、求(ぐ)法(ほう)の一道をまっしぐらに杖ついて、心の故郷(ふるさと)である叡山(えいざん)に登ってきた彼なのである。
そこの二人の女性(にょしょう)が自分を待っていることすら眼に映らなかった。
すたすたと前を通りかけたのである。
姫は、その姿を見るとはっと胸を打たれてしまった。
胸につまるいっぱいの涙と羞恥(はにか)ましさに樹蔭へかくれてしまうのである。
侍女(こしもと)はそれを歯がゆがるように、自分だけ走り出して、
「範宴さま」と、彼の前に立った。
「あっ……」杖をすくめて立ちどまった網(あ)代(じろ)の笠は、微かに打ちふるえた。