当に相敬愛すべし相憎嫉することなかるべし

10月23日付のイタリア紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』によれば、ACプラートの下部組織に所属する11歳の少年が2カ月の出場停止処分を受けたそうです。

10月18日に行われたイタリアのU−13のリーグ戦ACプラート対ACマリセティの試合中ベンチに座っていた少年は、主審に対して複数回にわたり肌の色について人種差別的な発言を繰り返し、レッドカードを受け退場処分を科せられました。

事態を重く捉えたFIGC(イタリアサッカー連盟)のスポーツ裁判所は、同選手に対し2カ月の出場停止処分を言い渡し、その結果、少年は1月22日までプレーが出来なくなりました。

ちなみに、10月初旬には、インテル・ユース対ミラン・ユースの“ミラノ・ダービー”で、インテルのガーナ人選手に対し人種差別的発言を行ったミランの選手が、5試合の出場停止が下されたばかりでした。

サッカーだけでなく、他のプロスポーツにおいてもこのような問題が起こっていますが、問題解決に向けて、ユース世代からの徹底的な教育を求める声があがっています。

ところで、肌の色の違いによって、具体的には白色の人が有色である人に対して差別発言をすることの根拠はいったいどこにあるのでしょうか。

DNAの研究の結果、

「人類は東アフリカで誕生し、そこから中東に行き、さらに二つのルートに分かれて世界中に広がっていった」

ということが明らかになっています。

けれども、住む地域によって外見はかなり違います。

まず肌の色が違います。

それはどうしてでしょうか。

アフリカは熱帯ですから、非常に日差しが強いため、その地域に住む人たちの体からはメラニン色素がたくさん出ます。

メラニン色素は、紫外線を吸収してDNAへのダメージを防ぐはたらきがあります。

そこで、はじめ東アフリカに誕生した人類は、メラニン色素で全身を黒くすることによって、紫外線から体を守っていたのです。

今でも、アフリカに住んでいる人びとの肌の色が黒いのはこのような理由によります。

ところが、人類にも「突然変異」が起こります。

本来、人類にはメラニン色素がたくさんあるのですが、あるときメラニン色素が少ない肌の色の白い人が誕生します。

メラニン色素が少ないと、強い紫外線の中で生きて行くことは出来ません。

そこで、肌の色の白い人は、次第に紫外線があまり強く降り注がない北の方に移動して行きます。

この時、肌の黒い人たちはなぜ一緒に北上しなかったのでしょうか。

実は、紫外線は皮膚ガンを起こすような有害な性質を持つ一方でビタミンDをつくる働きもします。

ビタミンD以外はいずれも食事で摂取することができますが、ビタミンDの必要量の半分は紫外線を浴びることによって体内で作られます。

そこで、ビタミンDがないと、さまざまな病気になりやすいため、健康な生活を送るには紫外線を適度に浴びる必要があります。

肌の白い人たちは、強い紫外線のもとでは生きていくことは出来なくても、紫外線が弱い地域であれば肌の色が白くても問題はありませんし、紫外線を浴びてビタミンDを作ることもできます。

緯度の高い地域では、冬の期間が長いという気候条件の関係もあり、北欧などで極めて積極的に日光浴を行う文化・習慣・風俗も見られるのはこのような理由によります。

これに対して、肌の色の黒い人たちはメラニン色素がたくさんあるため、強い紫外線のもとでも生きていけますが、紫外線が弱くなると今度はビタミンDを体内で合成することができなくなります。

その結果、肌の黒い人たちは北に行くと、病気になりやすくなってしまいます。

この中間に位置しているのが、東アジア、東南アジアなどに多く見られる黄色人種とよばれる人々で、私たち日本人もここに属しています。

さて、なぜ黒人・白人・黄色人種など、さまざまな肌の色の人が存在するのかというと、突然変異を繰り返す中で、紫外線をあまり吸収しないようなタイプと、吸収しやすいタイプに分かれてきたからだと言えます。

もしかすると、肌の色の違いによって差別発言を繰り返す人たちは、このような人類の歴史を知らないのではないでしょうか。

なぜなら、この事実を知れば、肌の色によって差別発言を行うことがいかに意味のないことであるか、自ずと覚り得るのではないかと思われるからです。

今回の場合、肌の色の白い少年が、肌の色の黒い審判に対して差別発言をしたのですが、学校で人類の起源について、そして肌の色が違う理由についてきちんと学習していれば、肌の色の違うことをもって人種差別を行なうことなどなかったかもしれません。

「仏説無量寿経」に「当に相敬愛すべし相憎嫉することなかるべし〜人は共に敬い愛し、憎しみ嫉(そね)んではならない」という言葉があります。

世の中には、肌の色の違いだけでなく、いろいろな差別がありますが、人びとの心の奥にお釈迦さまこの言葉(教え)が届けば、少しでも差別という愚かな行為は減っていくのではないかと思われます。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。