徳之島生まれの落語家が楽しい“噺”で笑顔をお届け(上旬)家族に大反対された落語家への道

ご講師:桂 楽珍さん(落語家)

みなさんこんにちは。

大阪はお笑いの吉本からやって参りました、桂楽珍と申しますんで、一つよろしくお願いします。

私は、鹿児島県の徳之島の与名間村生まれで、高校卒業まで徳之島で暮らしました。

ですので、天文館に来るとほんま都会やなあと感じます。

徳之島には落語家になりたいという人がほとんどいてませんね。

私が初めてですわ。

なんでかというと、言葉なまりがすごいんです。

徳之島で「おはようございます」なんて言うびっくりしますよ。

「しとぅむぃーてぃうがめーら」って言うんです。

今から何十年かまえ、師匠である文珍さんに入門したいと思ったんですが、今の方言ですから大変でした。

「文珍師匠、ぼくを弟子にしてください」は

「文珍師匠は、ういにいしーないちゃしがいきゃしがたにかくむらわ」です。

こんな言葉で入ろうと思った私も愚か者といいますか、よう考えたわと思います。

みなさんもちょっと胸に手ぇ当てて考えてみてください。

ご自分の親族、息子さんでもお孫さんでもいいですわ。

大阪や東京の吉本に行く言うたら大概反対しますでしょう。

高校3年生のとき、親父、お袋の目の前で土下座して、

「とうちゃん、かあちゃん。おれ、落語家になりたい。サトウキビ畑なんか継ぐの嫌や」

って言うたら、そりゃあもの親父が怒って私の胸ぐらをつみ

「おまえはサトウキビ畑を継ぐんじゃ。親の言うことが聞けんのか」

と言ったのが怖かったですね。

そんなやり取りを見ながら目にいっぱい涙をためたお袋が、振り上げたその親父の拳の横から

「あんた、ええやないの。この子はもうハブに咬まれて死んだ思うたらええやないの」

って言うたんです。

何でハブやねんと思いながら、余計にこの島が嫌いになって、もう勝手に出て行こうとしたんです。

しかし、たった一人、おばあちゃんだけが味方になってくれました。

私のおばあちゃん、名前が変わってるんですよ。

私、本名「中山」っていうんですけど、親父方のおばあちゃんは、「中山カナブン」っていいますねん。

考えられますか。

自分の名前がカタカナでカナブンですよ。

私「カナばあちゃん」って言うてたからしらなかったんですよ。

あるとき年賀状を見てびっくりしましたわ。

味方になってくれたのは、もう一人のおばあちゃんでした。

これまた名前が変わってるんですよ。

「ウシ」って言うんです。

「そんな人おる」って思いますけど、いるんです。

「ばあちゃん、なんでそんな動物みたいな名前なん」

って聞くんですけど、おばあちゃんは

「はぁーん、はぁーん」

言うて、話しだすのに10秒くらいかかるんですわ。

ほんでその後、「昔、流行った」と教えてくれました。

牛は草食動物ですから、肉を食べない。

つまりぜいたくをしない。

頑丈でけがをしないことが、結婚して嫁ぎ先で病気をしないような女の子になってほしいっていう意味で、ウシちゃんっていう女の子の名前が大流行したそうです。

カナブンちゃんは流行らんかったらしいですけどね。

ちなみにウシばあちゃん、「元(もと)」さんっていうお家に嫁に行ったんで、フルネームは「元ウシ」です。

そのウシばあちゃんが、カナブンばあちゃんを遮って、「もうワシが大阪行って文珍さんに話つけたろ」言うたんです。