親鸞・去来篇 2015年2月13日

椀(わん)に盛った玄米(くろごめ)と、胡麻(ごま)揚(あげ)をのせた木皿とが、山伏の前に置かれた。

飢(う)えている黒は、山伏の持つ箸(はし)へ向って、跳びつきそうに、吠え立てる。

「餓鬼(がき)めが、うるさいぞ」揚物を一つ抛(ほう)ってやると、黒は、尾を振って噛(か)ぶりつく。

山伏もまた、がつがつと、飯を掻っ込み初める。

傍(かたわ)らには、彼よりも前に、床(しょう)几(ぎ)に掛けていた二人の客があって、板を囲んで酒を酌(く)んでいた。

これもまた、貧乏そうな法師だったが、その一人がいい機嫌になって、気(き)焔(えん)をあげていることには、

「べらぼうめ!僧侶だって、人間じゃないか。
吾々、人間たる僧侶を、木偶(でく)かなんかぞのように、酒ものむな、女にも触(さわ)るななどと、決めた奴がそもそもまちがっている。
矛(む)盾(じゅん)、秘密、卑屈、衒(てら)い、虚偽、あらゆる陰性の虫が僧院に湧く原因はそこにあるんだ。
人間にできないことを人間がやっている顔つきしているんだから無理もないわさ!俺は前(さき)の少僧(しょうそう)都(ず)範宴――今は吉水の綽(しゃっ)空(くう)が、公々然と、妻を娶(も)つということを聞いて、こいつはいいと思った。
俺は、綽空に双(もろ)手(て)をあげて、賛礼(さんらい)する」

「しかり、おれも同感じゃ」と、一方の相手も、唾(つば)を飛ばして、

「東(とう)寺(じ)の鴉(からす)みたいに、ガアガア反対する奴もあるが、そいつら自身は、どうだ!」

「成ッちゃあおらん。五山の坊主に、一人だって、ほんとの童貞がいるかッてんだ!」

「綽空は、むしろ、正直者だ」

「ああいう人間が出てこなければ嘘だ。俺たちが、日蔭でぶつぶつぶやいていても始まらん、行動で示すことは、勇気が要(い)るが、そいつを、堂々と、実践しようっていうんだから愉快だ」

「見ようによっては、彼は、仏教の革命児だ、英雄だ」

「彼のために、加(か)盞(さん)して、大いに、祝してやろう」杯(はい)を挙げて、交驩(こうかん)しながら、

「あははは」

「わははは」

「世の中が、明るくなった」

「出かけようか」銭をおいて、二人はひょろひょろ出て行った。

さっきから黙って聞いていた山伏の顔には、なんともいえない不快な色が漲(みなぎ)っていたが、ふと、後ろ姿へ、憤怒の眼(まなこ)を射向けると、ついと起ち上がって、外へ出た。

黒はまだ、木皿に残っている飯や揚物を、ぺろぺろと長い舌で貪(むさぼ)っていた。

「黒っ」口笛を鳴らして、山伏は走った。

そして先へいい機嫌で歩いてゆく二人の法師の影へ向って、しっと、ケシかけたのである。

わん、わん! 獰猛(どうもう)な声をあげて、黒はもう一人の法師の脛(すね)へいきなり咬(か)みついていたのである。

「あ痛っ」

「畜生」その狼狽ぶりを目がけて、山伏は、杖を振り上げながら、

「外(げ)道(どう)っ」と、喚(わめ)いた。

二人が、道ばたへ仆れたのを見ると、黒と山伏は、後も見ずに、闇へ紛(まぎ)れてしまった。