眼だけを出して、頭から顔はぐるぐると袈裟(けさ)で包んでいる。
誰やら分りようもない。
手には「入道杖」とよぶ四尺ほどの杖をつき、破(や)れ法衣(ごろも)に高足駄を穿(は)き、
「満山の大衆(だいしゅ)」
手で鼻を抑え、声まで変らせて、西塔(さいとう)、東塔、叡山(えいざん)の峰、谷々にある僧院の前へ行っては、厄払(やくはら)いのように、呶鳴ってあるくのであった。
「こよい、山門へ立ち廻られよ。こよい立ち廻られよ」
すると、僧房のうちで、
「もっとももっとも」と答える声がする。
そう聞くと法師はまた、ほかの寺院の前へ行って、
「――満山の大衆(だいしゅ)、こよい、山門へ立ち廻られよ」と呼ぶ。
(承知)という返事の代りらしい。
「もっとももっとも」と、ここでも同じ答えがする。
これが、叡山名物の、いわゆる「山門の僉(せん)議(ぎ)」の布令(ふれ)なのである。
その布令が、きょうも夕方のうす暗いころに廻った、四(し)明(めい)ヶ岳(だけ)の雪もすっかり落ちて、春の夜のぬるい夜(よ)靄(もや)が草むらや笹(ささ)叢(むら)から湯気のように湧いている晩である。
――やがて初更の鐘が合図。
暈(かさ)をかぶった月が淡くかかっている、月は丸くなかった。
「おうい――」
「ほーい」
互いに、影を見て呼び合いながら、谷から、沢から、峰の中腹から、思い思いに頂(いただき)の根本中堂をさして上ってゆく法師たちの影が、まるで猿(ましら)のように見出される。
集まる場所は、いつでも大講堂の広場ときまっているのだ。
「ほーい」
「おうい」
梟(ふくろう)のような鼻声をかわしながら、途中から、めいめい、手ごろな石を担(かつ)いでそこへ群れてくる。
そして芝地の露へ、
どすん、どすん、石を抛(ほう)る。
それが座席である、彼らは、その石のうえに腰を下ろし、入道杖を前に立てて、うんうんと眼を光らし、口をむすんで、燈火(あかり)もない大講堂の階段を中心ににらまえているのだった。
いつのまにか、そこは、黒、朽(くち)葉(ば)、鼠色の人影で埋(うず)まってしまう。
三塔の大衆(だいしゅ)三千がこうして集まると、元は、院の御政治すらうごかしたものである、武力のあった平氏も源氏も、叡山だけは意のままにならなかった。
――時勢は刻々と移ってはいるが、しかしまだ、彼らには、そうした自尊心は衰えていない、座主も、この大衆の支持がなくては、その地位を保つことができないのは勿論であった。
「しイーっ」
闇の中から、誰かが、やがてこういって、杖を宙へあげると、大衆は一斉に、皆、左の手で自分の両眼を塞(ふさ)いでいた。
次に、二度めの声がかかると、その手を払った。
見ると、大講堂の階段の上に――広縁の一端に、誰か、一人の法師がのぼっている。
頭巾の上から、さらに口も鼻も縛っているので、常々、顔をあわせている者でも、まったく誰であるか見当はつかないのである。
「山門の僉(せん)議(ぎ)」の目的は、自分たちの包まない意見も感情もぶちまけて討議するところにあるので、口が禍いになって、後難を恐れていては行われない。
――で、こういう作法のもとに、討議が初まるのは、以前からの例であり、問題のなんであるにかかわらず一つの儀式になっていた。