「それで、座主は罷(や)められたわけだな」
「もう鎮(ちん)撫(ぶ)の道がなく――」
「お苦しい立場だった」
森の中に集まった吉水の弟子たちは、話してみればみるほど、
叡山と吉水
こう二つの対立が、複雑であることに気づいた。
「つまり、叡山が騒(ざわ)めいているのは、宗教が問題でなく、権力の争いを売りかけているのだな」
「その裏に、自尊心だの、嫉妬だの、いろんな感情も潜在して」
「こいつは、どうしても、ぶつからずにいまい、吉水の吾々にしても、黙って見ているのも芸はない、売られる喧嘩なら買ってやる、彼らが、座主を山から追い下ろすなら、われらはその慈円僧正を擁(よう)して、飽くまで立つし、彼らが、朝廷へ讒(ざん)訴(そ)するなら、われらも、朝廷へ弁解しても、闘ってやる」
「でも、そんなこと、上人がおゆるしあるまい」
「こういう、うるさいこと、上人のお耳に入れとうないが」
「いずれ、他の信徒の口から、お耳に入らずにはいない」
「おれたちは、おれたちとして、黙ってやるのだ。師へ、ご迷惑や心配をかけないように――」
「そして」
「そしてとは」
「さし当って、どうするのか。これから慈円僧正のいらっしゃる青蓮院へでも行って、おれたちの熱意をつげ、お計らいを仰ぐか、それとも――」
「会って下さるまい、僧正は」
皆、不安な顔色で、
「むずかしいな」とつぶやいた。
今にも、四(し)明(めい)ヶ岳(だけ)の彼方(かなた)から吉水の一草庵におおいかぶさってくるように険悪な風雲を感じながら、さて、
(どう対立するか)という問題になると、この若い人々だけの間では、なんの策も考えられなかった。
「そうだ、誰か、このうちの一名が――叡山に明るいものならなお都合がよい、山へのぼって、どんな空気か、つぶさに内偵してきてはどうだ」
「む。――その上でもよい、対策は」
「わしが行こう」と、一人の青年僧がすぐいった。
それは、つい一昨年(おととし)ごろまで、叡山にいた者で、実性(じっしょう)という若い末弟子だった。
「オ、実性ならば、この役は易(やす)いことだろう。ひとりでよいか」
「一人のほうがよい」
実性は、気を負って、すぐにも行くように、起ち上がった。
ところへ、
「おい、おまえたち、そんな所へ寄って何をしているか」
禅房から出てきた先輩の念(ねん)阿(あ)が近づいてきて咎(とが)めた。
一同は、さあらぬ顔で、
「いえ、べつだん何をしているということもございません」
「黄昏(たそがれ)ではないか」
「はい」
「禅房のお掃除もある」
「やります」素直に、若い弟子たちは、散らかって行った。
しかし、実性だけは、念阿の気がつかない間に、森の奥へ走っていた。
そして、叡山の肩に低く垂れている夕雲を仰ぎながら、どこともなく姿をかくしてしまった。